インタビューほか

信長の死を予言した男 安国寺恵瓊(あんこくじえけい)

「本の話」編集部

『墨染の鎧 上』 (火坂雅志 著)

──ひょっとして今川義元と太原雪斎(たいげんせっさい)のことですか?

火坂  そう、この人は外交僧として活躍するばかりでなく、自らも軍を率いて三河あたりまで大将となって出陣するのです。こんな坊さんが本当にいたんですよ、戦国の世には。
『沢彦』で書いた信長と沢彦の関係も面白い。沢彦は信長の名づけ親ですが、彼の名前に扶桑(日本)という意味を込めるんです。天下布武の印を与えたりもします。カリスマもあり、喧嘩強く、いわば暴走族のヘッドみたいな暴れん坊に天下取りという目的をあたえたのが沢彦なんです。信長は沢彦のために自ら雪駄を履かせてあげることまでするんです。感謝していたんでしょう。こんな関係が美濃統一の頃までつづきました。このような禅僧が当時日本全国にたくさんいたんです。武田の快川(かいせん)和尚しかり、徳川の金地院崇伝(こんちいんすうでん)、伊達の虎哉(こさい)禅師もまたしかりです。

──その後、興味が変化されましたよね。

火坂  はい。だんだん書いてきて、なんか普通の軍師にも関心が起こり、禅僧に限らず武将の軍師を書き始めました。『天地人』では直江兼続を、『軍師の門』では竹中半兵衛と黒田官兵衛を取り上げました。

──そうした流れの中で、今回の『墨染の鎧』となるわけです。

火坂  歴史の教科書では安国寺恵瓊(えけい)という人は、信長の死とそれに伴う秀吉の天下取りを予言した毛利の外交僧として知られる程度ですが、もとは安芸の守護武田家の出なんです。それが毛利元就に実家を滅ぼされ、東福寺の末寺で出家します。ですから彼にとって毛利は仇になる訳です。そんな彼がどうして毛利に仕えたかというと、東福寺の師が毛利の外交僧であったために師の跡を継ぐことになった。そして安芸武田家の復興を考えるんですが、複雑な胸中ではなかったか、と。
  足利幕府との繋ぎに始まり、織田信長とも交渉役として関わるようになります。そこで織田家の家中をよく観察したんでしょうね。

──彼の行動範囲というのは実に広いですね。

火坂  当時の毛利は広島です。その広島から彼は京都を始め、北の出雲、若狭。西は筑前、豊後。南は四国の伊予と駆けずり廻ってます。本当にタフです。彼ほど日本を歩いた人はいないんじゃないか。これも彼が僧侶であるが故でしょう。東福寺は全国に末寺があり、そこを訪ねることを理由にして、当時としてはかなり自由に歩くことができたのです。

墨染の鎧 上
火坂 雅志・著

定価:1700円(税込) 発売日:2009年08月28日

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