インタビューほか

信長の死を予言した男 安国寺恵瓊(あんこくじえけい)

「本の話」編集部

『墨染の鎧 上』 (火坂雅志 著)

──そして予言通り本能寺の変が起きます。

火坂  秀吉と高松城で相対していた毛利の陣にいた恵瓊は、畿内に慌てて戻る秀吉軍を追撃せず、見逃します。このことがさらに恵瓊を飛躍させます。その後秀吉の天下取りに協力し、毛利家と秀吉の関係を同盟から家臣へと導いて行きます。この過程において毛利家の外交僧でありながら、秀吉の側近となるんですが、遂には城持ちの大名にまで出世します。その間彼は南禅寺の住職に就任しているんですよ。仏教界ナンバーワンにして、大名、こんな僧侶は日本史上、彼だけです。本当にユニークな存在です。

──直江兼続とは相当タイプの異なる人物ですね。

火坂  人間力というか、生きることにギラギラしてるかもしれませんね。もっとも、あの時代の禅坊主は多かれ少なかれ、みんな、ギラギラしてました。
  彼は門閥もない毛利家の家中で生き残るためには結果を常に出さなくてはいけない。率いる軍勢もないわけです。だから各地を経巡り、人間、事象をよく観察し、よく考えなくてはいけないわけです。情報をとても大事にしたんだと思いますね。直感力に優れ、眼力を養い、人間力を磨き、時代の流れを的確に読む。そうして、まさしく徒手空拳で城持ち大名にまでなった。たいした男です。そんな彼も偉くなるにつれてそうした能力が失われていく、そこが悲しいですよ。

──書く上で何が大変だったでしょう?

火坂  歴史小説の醍醐味は合戦シーンと、よくいわれますよね。恵瓊は参謀ですので、合戦には出ないんです。リアルな戦闘シーンにいないのは苦労します。合戦シーンが書けないのは結構きつかった。武将であれば自ら戦場に行って、敵と戦ってピンチになったり、手柄を立てたりして、ある意味書きやすい。関ケ原の戦いで初めて戦場に出るのです。彼の目にはどのように見えたんでしょうか。そもそも彼の表舞台は外交戦です。このシーンで手に汗握ってもらうのは本当に難しいです。随分工夫しました。

──この小説が書かれていた時期は『天地人』のフィーバーでとんでもない状況だったと聞いてましたが?

火坂  物理的に大変でした。講演が多い時で月に十五回もあって、連載のストックがまるで作れなくて、毎回一話ずつ渡すみたいな綱渡りの連続でした。担当の方は本当に大変だったと思います。でも、精神的には不安から解放されて、楽になりました。先の心配をしなくてよくなったんだと思いましたもん。デビューして二十年ぐらい書いていて、売れなくて自信がない状態で、どうやって食っていくか不安でした。『天地人』のおかげで小説のみに集中できるようになったことが大きいですよ。自信も湧いてきたし、まだまだこれからだ、ようやく折り返し地点だ、がんばるぞ、なんて。その気持ちが作品に出ているならうれしいかな。

──今後の予定は?

火坂  新聞連載ですが、真田三代を書いています。これから先は関ケ原を生き抜いた大名たちに深く関心があります。彼らは、徳川幕府にいいようにやられた情けない田舎大名みたいなイメージをもたれていますが、実はそうでもないのではないか。毛利家なんて、関ケ原の西軍の総大将でありながら幕末まで存続しますし。伊達や島津、加賀の前田もしっかり生き残ります。そこには必ずしたたかな戦略があったはずだと思うんです。これからはそこらあたりでしょうか。

墨染の鎧 上
火坂 雅志・著

定価:1700円(税込) 発売日:2009年08月28日

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