2014.03.10 文春写真館

愛猿とたわむれる子母澤寛の猿を飼うコツ

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

愛猿とたわむれる子母澤寛の猿を飼うコツ

 多磨夫人とふたりで愛猿とたわむれるのは、子母澤寛。本名、梅谷松太郎。明治二十五年(一八九二年)、北海道に生まれる。祖父は旧幕府の御家人で彰義隊に参加、箱館戦争に敗れて捕虜となる。釈放後、同志らと石狩の厚田村に移った。この祖父は漁場で網元の用心棒として、地元では顔役となった。さらに自ら網元となり、成功をおさめる。松太郎は早くに実母と別れたため、この祖父母によって育てられた。幼少期に祖父やその同志だった老人たちから、彰義隊の戦いぶりや、幕末の江戸の様子などを聞かされたことが、後年、幕末維新物を執筆する動機づけとなったのかもしれない。

 旧制北海中学を経て、明治大学法学部卒業。帰郷するが再び上京し、読売新聞に入社。のちに東京日日新聞に移り、新聞記者を勤めながら、昭和三年(一九二八年)、聞き書きをまとめた「新選組始末記」を出版する。その後、「新選組遺聞」「新選組物語」と合わせて、新選組三部作をまとめた。

 代表作に、NHK大河ドラマ原作となった「勝海舟」、随筆に「座頭市」のもととなった「ふところ手帖」がある。昭和三十七年、「逃げ水」「父子鷹」「おとこ鷹」など幕末維新を舞台にした作品群により、菊池寛賞を受賞。

 ペットとして珍しく猿を飼っていた。猿を飼うコツは、最初に猿と向き合った時に、隙を見て猿の首ねっこにガブリと咬みつくことだという。「こちらが絶対に強いことを見せなければ、猿は人間の言うことを聞かない」そうだ。

「愛猿記」(文春文庫)の綱淵謙錠の解説によれば、
〈そこには人と猿の区別を超えた愛情の交流があった。それは感動に値するものであった。しかし同時にわたくしは、そこに人間には絶望したが猿にだけは背かれまいと必死になっている、一人の〈人間嫌い〉の姿を見る思いがした。わたくしはそれまで子母沢さんほど〈人間嫌い〉から遠い人はいないと思っていたが、じつは最も孤独な〈人間嫌い〉だったのではあるまいか、と考えたのである。幼少期から家庭的愛情に恵まれず育った子母沢さんは、人間の愛情の頼りなさに深く傷つき、〈人間嫌い〉になることによってかえって人間を愛するようになったのであろう〉

 写真は、昭和三十六年九月に撮影。

 昭和四十三年没。

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