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日本古来のクラシックなホテルをめざした野田岩次郎

日本古来のクラシックなホテルをめざした野田岩次郎

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 ホテルオークラを世界に通用する国際的ホテルに育て上げた野田岩次郎は、明治三十年(一八九七年)長崎市生まれ。父は洋服商だった。東京高等商業学校(現在の一橋大学)を卒業後、三井物産に入社。シアトルに配属される。上司だったのが、「モーレツ社員」で名をはせた石田礼助支店長だった。大正十一年(一九二二年)、アメリカ人弁護士の娘、アリス・カリタと結婚するが、周囲の反対もあり、三井物産退社を余儀なくされる。その後、知人のツテで日本綿花に入社し、ニューヨーク支店長になる。

 真珠湾攻撃当日に敵国人として拘束され、FBIの取調べを受けた。昭和十八年(一九四三年)、妻子をアメリカに残したまま強制帰国、海軍省嘱託となる。

 終戦後の昭和二十一年、小林一三の推薦で持株会社整理委員会のメンバーとなり、昭和二十四年、委員長に就任。財閥解体に心血を注いだ。持株会社整理委員会が解散した後、昭和三十四年、大成観光社長に就任。財閥解体で帝国ホテルの経営から退いた大倉喜七郎とともに、帝国ホテルと遜色のない国際ホテル建設をめざした。

 東京オリンピックを間近に控えた昭和三十七年、ホテルオークラ(現在のホテルオークラ東京)を開業。各国の要人をゲストとして迎え、ホテルの評価は高まった。

「ホテル造りにあたっては西洋の模倣を排し、日本古来のクラシックなものを外観・内装に凝らすことを心がけたという」(「文藝春秋」昭和四十九年二月号「日本の顔」より)

 写真はこのとき、落成したばかりの別館、ペントハウス・スイートにて撮影。

 戦時中音信不通だった夫人は、戦後、アメリカの新聞に野田の名前が偶然載ったことから無事を知ったが、夫人はアメリカ在住を選ぶ。お互い、日米を行きかう生活だったが、最愛の夫人は、ホテル開業の前年に亡くなった。

「わたしは分骨したんですよ。子供たちがむこうに住んでるから半分はむこうの墓地にいれて、半分は持って帰ってきて多磨墓地にいれたんです」(「週刊文春」昭和四十六年七月十九日号より)

 昭和六十三年没。

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