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京都の裏支配者“白足袋族”の実態

京都の裏支配者“白足袋族”の実態

「本の話」編集部

『回廊の陰翳』 (広川純 著)

出典 : #本の話
ジャンル : #エンタメ・ミステリ

──松本清張賞受賞作『一応の推定』はご自身の職業であった保険調査員が主人公でしたが、『回廊の陰翳(かげ)』では伝統宗教(仏教)の巨大教団腐敗がテーマです。探偵役を務める主人公も、一方は若い僧侶であり、もう一方は京都の所轄の刑事です。デビュー二作目をこのようなテーマ、主人公で書かれたのはなぜでしょうか。

広川  初めて書いた小説で幸運にも清張賞を受賞することができ、受賞第一作でもまた保険をテーマに書くという選択肢もあったわけですが、作家生活を続けていくにはこのまま保険だけでいいのかという思いもあって、もっと別の世界を書いてみることにしました。自分の限界を超える新たな可能性に挑戦したいと思ったまではよかったのですが、何を書けばいいのか見当がつかない。担当の編集さんといろいろ相談しているうちに、「広川さんは京都のご出身ですから、京都人しか知らない京都を書いてみたらどうですか」と言われて心が動きました。 

京都を裏から支配する“白足袋族”

──「京都人しか知らない京都」が、なぜお寺やお坊さんの世界なのでしょうか。

広川  京都には昔から「白足袋族」という言葉があります。僧侶や茶人、学者、西陣の織物の老舗(しにせ)など、政治的な権力者ではないけれど隠然たる影響力を持った裏の権力者たちのことで、京都の庶民は「白足袋族には逆らうな」といった言い方をします。京都で有名なお寺を拝観する観光客は表の顔しか知りませんが、地元の人間は僧侶たちの裏の顔を見ていますからね。私も十五年ほど前、保険調査員の仕事で祇園のクラブに通いつめたことがあったのですが、坊さんたちが変装してお店に通うのを何度も目撃しました。みんな変装して普通の服装で現れるのですが、全員頭が坊主なのですぐわかってしまいます(笑)。

──『回廊の陰翳』は冒頭でK宗の本山に勤務する若い僧侶が謎の水死を遂げ、その親友のお坊さんが真相を追究します。一方、水死事件の捜査をしている刑事のもとに、本山に安置されているはずの国宝級の仏像が不正に不動産開発会社の社長に売却されたという匿名の告発が舞い込みます。物語は素人探偵である若き僧侶の探索と、京都の所轄の刑事による捜査が同時並行で進んでいきます。

広川  当初は被害者の親友の坊さんだけを探偵役にするつもりで書き始めたのですが、なにぶん素人に殺人事件や巨大教団の闇を探索させるというのは無理があり、荒唐無稽になってしまう。そこで捜査のプロである刑事を持ってきて、二つの方向から事件を調べていくという構成にしました。

──作中には巨大宗派の裏側や、いまお寺・僧侶が置かれている状況などが詳しく描かれていますが、これらはどのように取材されたのでしょうか。

広川  宗派やお寺の実態については何人かのお坊さんから話を聞いたりしましたが、あまりまともに尋ねるわけにもいかなかったので、ざっとさわりだけ聞いて、あとは文献で調べました。いろいろな宗派の過去のスキャンダルなども調べましたが、執筆に当たっては作中のK宗が実在の宗派に似てしまわないよう注意しました。ですから、決して特定の宗派をモデルにしたわけではありません。

  教義についても、あまり詳しく書いてしまうとどこかの宗派のことだと勘違いされてしまうので、かなり削り込んで仏教の原点に近いかたちで書くようにしました。もともとのブッダ、つまりお釈迦様の教えは、いま我々が存在するこの世界でいかに生きていくかということで、来世に極楽に行けるとか、お寺にお参りすればご利益があるなどといったことは一言も言っていません。むしろそういうものに惑わされずに生きることを説いています。

  ところが、現実ははなはだ生臭いわけでして(笑)。お寺や宗派といっても人間たちが作ったひとつの組織に過ぎないので、善もあれば悪もあるのはいたしかたないところでしょうね。

──作中では巨大宗派の幹部たちの不正、汚職を追及する警察の知能犯捜査が緻密に描かれています。こちらもかなり取材されたのではないですか。

広川  警察の捜査については、幸いなことに刑事に何人か知り合いがいまして、一課、二課、四課、鑑識などいろいろな現場の話を聞くことができました。

──刑事たちの張込みや尾行など、捜査のテクニックも詳しく描かれていますね。

広川  刑事たちの話を聞くにつけ、警察捜査も私がやっていた保険調査も、基本的には同じ方法論で成り立っていると思いました。作中に「刑事の引き出し」という言葉が出てきます。これは捜査の過程でわからないことが出てきたときに、誰に聞けばわかるのか、情報や知識を提供してくれる協力者をストックしておくということです。これは保険調査でもまったく同じことが言えます。

  また、張込みや尾行といったテクニックも同様で、一般の人は尾行というと相手から距離をおいて電信柱の陰に隠れながら、といったイメージを持っているようですが、現実には相手はまさか自分が尾行されているとは夢にも思っていないという状況がほとんどですので、同行者との会話が聞こえるくらいすぐ後ろにぴったりと張りついていることが多いのです。

──『一応の推定』で清張賞を受賞されたとき、「清張を髣髴(ほうふつ)とさせる作風」と評されましたが、『回廊の陰翳』の警察捜査のリアルな描写は、まさに「清張ばり」ですね。

広川  清張さんの作品は大好きですが、自分ではことさらに清張さんの作風に近づけようというつもりはないんです。ただ、地味でもいいからできるだけ現実に近づけたい、リアリティに忠実に描きたいと思っているだけで。ですが、現実の張込みはまさに清張さんの「張込み」さながらの地味な作業なんですよ(笑)。

──それにしましても、前作から三年半。刊行にこぎつけるまでずいぶん時間がかかりましたね。

広川  まことに面目ない話ですが、デビュー作の『一応の推定』を書き上げて保険調査員を辞めたので、いわば転職したようなもので、しばらくゆっくりしてから次回作に取り掛かろうと思ってしまったのが間違いでした(苦笑)。ぶらぶらしているのにもすぐに飽きるだろうと思ったのですが、気がついたらあっという間に一年が過ぎてしまいました。あわててぬるま湯から飛び出したのですが、テーマに仏教という奥の深い世界を据えてしまったために、付け焼刃ではとても歯が立たず、いろいろと勉強しているうちにさらに時間が過ぎてしまいました。京都は文字通り石を投げれば坊主に当たるというくらい僧侶がたくさん暮らしていますし、各宗派の総本山も集中していますから、知っているつもりになっていたのですが、いざ小説を書くとなると、わからないことがどんどん出てくるものでして。

──何回も書き直しされたそうですね。

広川  物語の構想はある程度できたのですが、主人公のキャラクターが気に入らなかったり、書き方に迷って倒叙法にしてみたりと、だいぶ苦戦しました。結果的には若い坊さんと刑事に視点を据えた、シンプルな二元描写に落ち着きました。

二条公園の鵺(ぬえ)伝説

──『一応の推定』では物語の舞台となる土地の匂いを感じさせる描写が高く評価されましたが、『回廊の陰翳』でも主人公の僧侶が暮らす宮津や探索で訪れる日和佐などの土地の空気が巧みに描かれています。中でも物語の大半の舞台である京都は、広川さんの故郷だけに描写も一段と冴えを増していますね。

広川  私が育ったのは京都市の元中務町(もとちゅうむちょう)という、むかしは大内裏の中の中務省があったところです。御所で蝉(せみ)取りをしたり、二条城のお堀で魚釣りをしたり、家の前を掘ると瓦や土器のかけらなどがいくらでも出て来て、それをおもちゃにして遊んでいました。

  作中に善入寺という架空のお寺が出てきますが、その所在地を二条公園の向かいにしてあります。二条城のすぐ隣にある二条公園も子供の頃の遊び場のひとつで、園内に勾玉(まがたま)のかたちをした池があるのですが、この池で源頼政が鵺を退治した後で鏃(やじり)を洗ったという伝説が残っています。この伝説は作中でも紹介したのですが、じつは私がいま住んでいる大阪の長柄というところは大川(旧淀川)に面していて、近くに鵺塚があります。退治された鵺が鴨川に捨てられ、流れ着いた場所と言われているのだとか。ちょっと不思議な因縁を感じています。

──懸案の受賞第一作を書き上げ、ほっとされているところでしょうが、今後のお仕事のご予定はいかがでしょうか。

広川  今年は『回廊の陰翳』を皮切りに、何冊か単行本を刊行することが出来そうです。これから書くものとしては、『一応の推定』の主人公・村越が再登場する長篇を書きたいと思っています。『一応の推定』で保険調査もので書きたいことは出し切ったと思っていましたが、しばらくしたら「まだ書けるかな」と思うようになってきましたので。それと、もうひとつ書きたいのは裁判ものです。裁判員制度が導入されたいま、果たして冤罪(えんざい)は生まれなくなったのか、というテーマを追究したいと思っています。いずれにしても、今度はあまりお待たせしないよう、なるべく早く書き上げたいと思っています。

文春文庫
回廊の陰翳
広川純

定価:817円(税込)発売日:2012年11月09日

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