蔵の中の若武者
話は変わるが、私は子供のころ、高知の市内から、月の名所といわれる桂浜に行く途中にある長浜に住んでいた。潮岬沖を震源とする昭和南海地震の津波がその長浜を襲って、家の塀には私の身の丈をはるかに超える津波の跡がまざまざと長く線を引いたようにしばらく残っていた。
そのころ、古いものが納めてあった蔵に入ったことがある。そこで不思議なものを見つけた。それは馬にまたがった武将の姿を描いた掛け軸だった。その武将は自分の馬の鞍のあたりにいくつもの生首をぶら下げ、持った槍の先にも人の首がある。そして、その武将の兜にも矢が鋭く刺さっていた。
武将の目鼻立ちはくっきりしていて、まさしく長宗我部家の容貌を引き継いでいる。信親(のぶちか)の弔いのために描かれたもの、といわれていた。寒気が私の背筋を走った。信親は長宗我部家中興の祖である元親(もとちか)の嫡男だったが、若くして大分の戸次川(へつぎがわ)の合戦で戦死した。それ以来私の脳裏にはこの武将の顔が焼きついてしまった。
平成6年(1994年)の8月、高知市などによる「夏季大学」という催しが高知であって、その講師に呼んでいただいた。その時、私は共同通信社の経済部長兼論説委員をしていた。だから主催者は「経済展望」を語ってもらいたかったのだろう。だが、私はその夏季大学での講演で「辺境の土佐から全国制覇を夢見た男」として、元親を演題に選んだ。主催者は慌てたと思う。蔵の中で見た色白で柔和なあの武将がそうさせたのかもしれない。
そのことがきっかけで、私はそれ以降、2000年、70代を超えるわが家の歴史を真面目に追うようになった。その時代時代の当主が何を考え、どういう判断をしたか、それが長宗我部という家にどのような影響を与えていったのか、ということをテーマにした。思いを繋いでいく、いわば叙事詩として、読んでいただけるものを、と考えた。書いていくうちに興味は深まったが、それでは「お前自身は何を後世に残すのか」と、先祖から逆に問われる恐怖は常に残る。
再来年、平成26年(2014年)は、関ヶ原の戦いに敗れた長宗我部家当主の盛親が、再起をかけて戦った大坂の陣から400年を迎える。
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