組織で働く女性を書きたかった
――いま話してくださった黒真珠への感動を、小説の主人公である藤沢真奈もまさに感じることになるわけです。彼女は銀座・並木通りにある老舗宝飾店に勤める32歳の女性。真奈を目の敵にする「色気はあるが愛嬌がない」お局に恐々としながらも、チーフ・マネージャーとして後輩スタッフたちをまとめています。そんな真奈が、あるとき、宝飾店の社長に真珠を買い付けに行く出張のお供を命じられて、初めてタヒチを訪れることになる。この真奈という人物の設計はどのような意図からなされたのでしょうか。
村山 ゴーギャンに憧れて絵を描きに、ダイビングに魅せられて……などなど、タヒチを訪れる女性の設定はいくらでも考え得るでしょう。ただ、真珠に携わる仕事をしている女性の仕事の描写や彼女自身の内面の変化を描くことで、私が感じた黒真珠の魅力をタヒチに行ったことのない読者にも無理なく伝えられるのではないかと思ったのです。もうひとつには、組織の中で働く女性を書きたいという思いがありました。これまで私の小説に出てくる女性は、たとえば染織家だったり脚本家だったり、フリーランスの専門職に就いている人が多いんです。今回は、同僚との交流や上司との軋轢など、読む方が自分の身に引きつけて受け止められる世界を書きたかった。
タヒチ取材から帰国した後に、ふだん小説を書くときにはしない作業なのですが、まずはプロット作りをしました。10枚程度のプロットにしようと思ったのですが、結果、100枚にもなって、もはやプロットではなくなってしまった(笑)。私の場合、ストーリーありきで登場人物が動くわけではなく、人物の感情の動きや感情を動かすきっかけとなる言動を積みあげた結果ストーリーが生まれるので、プロットも長くなってしまうんですよね。今回、いつも以上に、小説の映像イメージも意識しながら書いたので、これまでの作品の中でもいちばん読み物として楽しんで頂ける作品ができたのではないかと思っています。
――東京にいたときにはチーフ・マネージャーとしての自覚不足を叱責されていた真奈ですが、タヒチで黒真珠売買の最前線を身をもって体験することにより、仕事への新たな意欲を獲得します。この成長のプロセスは働いたことのある方であれば、誰もが共感するところではないでしょうか。
ところが、タヒチでは、真奈を大きな出来事がもうひとつ待っていました。かつて熱烈に愛した男・竜介との再会です。現在、真奈には年下の恋人、貴史がいます。タヒチへ旅立つ直前にプロポーズしてくれた彼に満足してた真奈でしたが、タヒチに流れ着きより逞しさを増した竜介をつい、目で追っている自分に気づく。
村山 実は、竜介のモデルになった人物は、取材中に出会ったあるタヒチ人の男性なんです。観光ガイドをしている色男の彼は、ウクレレを弾いて歌いながら、足でモーターボートを操縦する(笑)。生命力の塊のような彼をこの目で見たとき、「よし、これで書ける」と確信しました。
――竜介の現在の恋人でパレオ・アーティスト兼ダンサーのマリヴァ、男性でありながら女性として育てられた〈レレ〉というジェンダーでバーテンダーのジョジョ、部族伝統のタトゥーの彫り師であるタプアリ……真奈やわれわれが暮らす社会とは、まったく異なる哲学をもって生きる個性的なタヒチ人が、小説にはたくさん登場しますね。
村山 ジョジョは書いているうちに当初の予定よりもどんどん出しゃばってきたキャラクターです(笑)。小説の中でも書きましたが、タヒチは基本的に果物と魚をとれば食べるには困らない世界。それ以上のものを得るために勤めに出る、という発想を彼らはしません。決して思い上がって言うのではないですが、それは貧しいことでは決してないと、私には思えます。目に見える範囲が世界であるという確かさは、ある意味でとても人間らしいのではないか。さまざまな情報が飛び交う私たちの社会では、目に見えないところで世界が動いていると人はつい考えてしまい、そのことに足もとの心もとなさを感じることがあります。
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