──このたび上梓(じょうし)された長篇『きみ去りしのち』は、満1歳になってすぐ亡くなった子どもの父親が主人公。彼が別れた妻のところに残してきた娘とともに旅をしていく物語です。旅が物語を支える大きな柱となっていますが、今回、なぜ旅、だったのでしょうか。
重松 旅をする一番いいところは誰かと出会って、別れ、そこで何かが変わっていくことだと思うんです。主人公は幼い息子を亡くして人生がストップしてしまったのですが、旅はひたすら前に進んでいくわけですね。前に進むということは、止まらずに動きつづけていくことでもある。もうひとつには、風景のもつ力を書いてみたかったということがあります。もちろん日常の風景の中でも人は癒(いや)され、勇気づけられるものですし、僕自身そういうお話を、出来はともかくとしてたくさん書いてきましたが、今回は日常では遭遇できないような圧倒的な風景を描ければ、と思っていたんです。
──作中で「自分をひっくり返してくれるような風景を見にいく」と書き置きする青年が登場しますが、重松さんご自身の体験で最も印象に残っている圧倒的な風景というと何ですか。
重松 やはり流氷ですね。18歳のときに初めて見たのですが、ドーンと胸にきました。流氷が押し寄せると音がなくなるんです。辺り一面大きな空っぽという感じになる。真っ白な風景の、音の消えた世界に佇(たたず)んだとき感じたものには、まさに圧倒的なものがありました。その体感を、いつか文章にできたらと思っていました。
──大自然の景観が与える感動と、言葉がひとを鼓舞する力には、通じるものがあると思われますか。
重松 誤解を恐れずにいえば、風景を情景に変えるのが言葉の力なのでしょう。同じ流氷を見ても、そこに喜びを見る人も、悲しみを見る人もいる。まっさらな流氷の景色に喜びを見出すとき、あるいは悲しみを託すときに、情景になるのだと思います。そのことでいえば、描写は恣意(しい)的なものですから、この物語では僕は悲しみの底から立ち直って生きていく力を風景描写に託したかった。『きみ去りしのち』に登場する風景は、あくまでも息子を亡くした父親、旅のなかで変化していく主人公が見た風景です。
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