第7章 難病を患う風変わりな少女
転校先の中学ではなかなか友達ができませんでした。郊外の公立中学から転入してきた私は転入試験を受けたにもかかわらず、「ずるをした」と噂されていました。陰では「川の向こうから来た子」、「ちゃっかり転校生」などというあだ名で呼ばれてもいたようです。
私はいつも一人で、登校から下校まで、出席確認に返事をする以外、一言も話さない日も珍しくありませんでした。同級生たちの眼差しは冷ややかで、刺々しく感じられ、なるべく目を合わさないようにしていたのですが、それがさらに「いけすかない子」という印象を与えてしまったようです。
いつものように同級生たちの輪から離れて、一人駅のホームに立ち尽くしていると、まっすぐな視線で私を見つめながら、近づいてくる同級生がいました。彼女は欠席や早退の多い子で、三日続けて教室にいることは滅多にありませんでした。それでも、勉強はよくできて、試験では常時、学年のトップ10に入っていました。ちなみに私は四十番目くらいでした。彼女は音楽の授業中に鼻血を出し、たまたま後ろの席に座っていた私が彼女を保健室に連れて行ったことがありました。
――あなた、白草千春さんでしょ。あたし、コウダユリ。
ぶっきらぼうな口調ときつい眼差しに私は一瞬、怯みましたが、ボストンバッグに縫いつけられた名前を見て、私はくすりと笑ってしまいました。甲田由里……似たような字ばかり集めた名前だと思いました。
――ふざけた名前でしょ。名前を決める時、父が酔ってたの。私は気に入ってるけど。
――もしかして、お父さんは甲田由男?
――残念でした。甲田由男は伯父の名前でした。
――やっぱり親戚にいたんだ。
甲田由里は貧血を起こしやすく、また怪我をするとなかなか血が止まらないということもあって、体育はほとんど見学でした。ほとんど友達がいないところは私と立場が似ていました。彼女は血液中の赤血球や白血球、血小板の数が著しく減少する「再生不良性貧血」という難病を患っていました。いつも青白い顔で、瞼には血管が浮き出ていました。通学途中に貧血で倒れるのが怖いので、一緒に登下校してくれる相手を探しているといわれ、私でよければ、と立候補しました。ようやく話し相手になってくれる人と巡り合えました。
甲田由里は私と共通のコトバの使い手だったので、学校でも、通学の車中でも、電話でもよく喋りました。ほとんど甲田由里としか喋りませんでした。彼女は今まで書物だけを友にしてきたせいか、私の何倍も物知りで、私がうまくコトバにできない思いやわだかまりをうまくいい表してくれました。
――あたしは千春の舌になる。千春はあたしの血になって。
血が薄い。血がなかなか固まらない。それはいつも危険と隣り合わせということです。生理が来ても、命がけです。ワインを注いだ薄いクリスタルグラスが歩いているようなものです。由里と私の血液型は同じO型。彼女に輸血が必要な時は、私の血を分ける約束もしました。由里と一緒に歩く時、私はいつも彼女を庇うように脇についていました。でも、彼女には臆病なところは微塵もありませんでした。運動不足から体力が落ちたり、太ったりすることの方を恐れていて、普段の生活の中でなるべく体を動かそうとしていました。
階段を二段飛ばしで降りたり、意味もなくスキップを始めたり、児童公園のブランコに乗ったり、鉄棒にぶら下がったりして、見ている私の方がハラハラするくらいでした。
そんな彼女には独特の人生観が芽生えていました。
――急性白血病とかになったら、早死にするけど、輸血をしながら、細く長く生きる人もいる。千春は自分がどんな死に方するか想像できる?
私はそんなことを考えたこともありませんでしたが、「地震とか落雷で死ぬかも」と答えました。由里はニヤリと笑って、こういいました。
――どんなに健康な人だって、予期せぬ死に方をする。だから、ビクビクしながら暮らしてもつまらない。
――由里は大人になったら、何をしたいの?
――誰だってやることは同じ。一番大きな仕事は生まれてくることと死ぬこと。そのあいだに恋をしたり、子どもを産んだり、病気と闘ったりする。あたしはたぶん、子どもを産めない。産んだら、死ぬと思う。千春、子ども欲しい?
――余ってたら、コウノトリにもらう。
――自分で産まなくたって、他人の子どもをもらってくればいい。世の中には子どもを捨てる親もいるんだから。
――子どもを産まなくていいなら、恋だけすればいいんだよね。
――あたしは血が足りないから、吸血鬼になる。吸血鬼が好きな男いるかな?
――血の気の多い人とか、献血してる人とか。
そんな話を朝から晩まで交わしていました。由里は男女の営みについても詳しく、ベッドや布団の上でどのような行為にふけるものなのか、ノートにイラストを描き込みながら、説明してくれました。
――「正常位」というのは男が上、女が下になって、顔を見合わせる一番一般的な方法。女の片足を抱え込んだら、「杵かつぎ」、両足を抱え込んだら、「釣瓶落とし」になる。女が上になるのは、「茶臼」っていうんだよ。「騎乗位」ともいう。股と股を交差させるのは「松葉くずし」と「燕返し」でしょ、お互いのお股を舐め合うのは「69」、女が四つん這いになるものには「仏壇返し」や「押し車」などがある。
――相撲の決まり手みたいだね。
――四十八種類以上あるんだよ。
本から仕入れた知識から、男女の秘め事の細部を想像する私たちは、まだキスさえもしたことがありませんでした。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。