文春写真館

伴淳三郎は高度成長期に、北国の滑稽と悲哀を演じ続けた

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

伴淳三郎は高度成長期に、北国の滑稽と悲哀を演じ続けた

「東北の人間てのは、どこの世界へ行ってもしいたげられたものだ。女郎屋へ行っても、東北の女が一番多かったし、あのズーズー弁ゆえに、まともな職にもつけなかった」

「そのあげくに、ようし、おれはこのザジズゼゾで偉くなってやるぞと考えだした」「しかも役者がもっともいやがる泥くささをわたしは狙ったわけだ」(『伴淳放浪記』)

 明治四十一年(一九〇八年)、山形県生まれ。売れない南画家の次男として、農家とはまた別種の貧乏と放浪生活の中で育つ。十四歳で家出同然に上京。小さな劇団を転々とし、浅草を拠点にドサ回りの下積み時代を過ごした。

 度の強い近眼メガネ、発育の悪い小さな体、反っ歯の三つ揃いに、ドジゆえの大失敗も数知れず。人なつこくて、スケベで浮気だが、妙に面倒見もいいという個性を、昭和二年(一九二七年)に入った日活で、渡辺邦男監督に見込まれ「珍優」として重用されるようになる。

 戦争中はあの手この手で徴兵逃れをし、敗戦後に再び映画で本格的に売り出した。昭和二十六年に「吃七捕物帖 一番手柄」の中で、驚く演技に「アジャ、ジャアにして、パアでございます」と言った台詞が「アジャパア」となって大うけし、一世を風靡するほどになる。「アジャ、ジャア」は昔の山形弁で驚いたときの声で、伴の個性ならではのヒットだった。

 写真は昭和三十二年の「漫画讀本」取材時のもの。「伝七捕物帳」シリーズや「二等兵物語」シリーズで不動のスターになりつつある頃の、若くはつらつとした表情が、伴にしては珍しく印象的だ。

 以後も、「駅前」シリーズや「旅行」シリーズなど喜劇路線で活躍。「駅前」シリーズでは、エリート苦労人役の森繁久弥と、純情な若者役のフランキー堺、こすい庶民役の伴のトリオが、世間の諸相をオムニバス風に描き、ユーモアと哀感と諦念のいい味を出している。

 一方昭和四十年の「飢餓海峡」では、函館の刑事役で、渋い演技を光らせた。真面目で一刻者、要領が悪くて落ちぶれてもなお、犯人追及の情熱を失わない執念と、殺人犯や被害者への深い洞察のある人物を見事に演じ、新境地を開いた。ラストシーンの読経の声も見事である。

 その後もテレビを含めて多方面で活躍し、昭和五十六年、七十三歳で永眠。日本の高度成長期を通じて、北国の滑稽と悲哀、庶民の体臭を強烈に放ち続けた役者一代だった。

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