- 2011.06.20
- 書評
心の力みの抜けるウッドハウスの小説
文:佐藤 多佳子 (作家)
『ジーヴズの事件簿 才智縦横の巻』『ジーヴズの事件簿 大胆不敵の巻』『ドローンズ・クラブの英傑伝』 (P.G.ウッドハウス 著/岩永正勝・小山太一 編訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
ジーヴズは、スーパー執事だ。どんな二日酔いでもコロリと治る魔法のドリンクも作れるし、どんな入り組んだ人間関係や利害の絡む事件も、とびきりの頭脳でちゃんと解決できる。朝の紅茶のいれ方は、「今朝もやっぱり完璧だ。熱すぎず、甘すぎず、薄すぎず濃すぎず、ミルクは適量で、受け皿には一滴のこぼれもない」。(本文引用)
彼が仕えるのは、ウースター家の若様のバーティことバートラム。国宝級に気立てのいい、おっとりとした友人思いの遊び好きのナイスガイだ。ただし、あまり頭はきれない。この主従の名コンビは、まちがいなく世界一だ。
困った主人を従者が助けるのはあたりまえという図式を覆(くつがえ)して、毎度ハラハラさせられるのは、2人の趣味の相違である。古風で正統派のジーヴズと、派手で奇抜なものが好きなバーティ。バーティが入手した派手で奇抜なネクタイや靴下やスパッツや上着をジーヴズが気に入らず……というお定まりの展開が本当におかしい。
世界に2人といない至宝のようなジーヴズなので、やはり彼のファンが多いのだろうが、私はバーティが大好きだ。こんなにこんなに便利なジーヴズより、身近にいてくれたらうれしいのは、バーティのほうかもしれない。彼が友人で、一緒に飲んだり、お茶をしたりできたら、とがった気持ちの時にどんなにほっとできるだろう。
いつも誰かが持ち込んでくる面倒のせいで困っているが、助けずにいられないバカバカしいまでの人のよさがたまらない。(ウースター家の家訓や伝統を守るためということも時にはあるが)どん底まで困っていてもへこたれない明るさがいい。ジーヴズによる難題解決策は、たいていバーティが泥をかぶる(頭がおかしいと思われる、その場から秒速で逃げ出す)はめになるが、それでも素直に感謝してしまう爽(さわ)やかさと間抜けさが最高!
バーティの親戚や友人も、個性的な強者(つわもの)ぞろいだ。『ジーヴズの事件簿』では、あらゆる女性にすぐに恋をしてとんでもないトラブルに見舞われる親友ビンゴ、あらゆるおばさんの中でも最強のアガサ叔母さん、イタズラにかけては右に出るもののいない双子の従弟(いとこ)のクロードとユースタスが大活躍する。
ビンゴは、『ドローンズ・クラブの英傑伝』にも登場して、結婚後のまた新たなトラブル人生でおおいに笑わせてくれる。同じくドローンズ・クラブのメンバーで、ビンゴと似たような恋愛戦士だが、陥(おちい)る困難がワンランク上で、なおかつ救いのないフレディ・ウィッジョンの話のキレはすごい。ドローンズとは、「のらくら」という意味で、まさにお気楽な連中が集ってのんきに騒いでいるわけで、こちらの本には登場しないが、バーティ・ウースターも当然クラブのメンバーに名を連(つら)ねている。
超ビッグでワールドクラスなウッドハウスなのだが、日本で本格的に訳出されはじめたのは、2005年以降である。私は書店でたまたま手に取った瞬間にファンになった。めったにないほど好みの本に出会ったことが直観でわかった。翻訳されたものは古書も含めて、できる限り探して読んだ。
今回、文庫という形になったのは本当に嬉しい。たくさんの人が手に取って、気持ちよく笑ってほしいと心から願っている。