五十歳以上の日本人なら、白黒テレビで見たマンガのコマーシャルを懐かしく思い出すだろう。トンガリ鼻で二頭身、ハゲ頭で皮肉な笑顔の「アンクルトリス」がウイスキーを何杯も飲む。それにつれて顔の下側から目盛りが上がるように赤くなるという、単純にして傑作なものだった。
昭和六年(一九三一年)、東京生まれ。京都市立美術大学を卒業後、壽屋(現・サントリー)に入社。広告に力を入れていた会社の要請に応え、粋で豪華でおしゃれな広告を制作。その後独立して、イラスト、マンガ、アニメーション、挿絵、エッセイなど多方面で活躍するようになる。
昭和三十年代以来、サントリーのコマーシャルは日本の文化を牽引してきた。その先駆けが、開高健や山口瞳のコピーに柳原良平のイラストという組み合わせで、舞台は新聞、テレビ、そして雑誌「洋酒天国」だった。
柳原のもうひとつの顔は「船マニア」だ。
小学一年生で船の絵を褒められ、やがて軍艦に夢中になり、敗戦直後には日本にどれだけ大型船が残っているのかが知りたくて、各船会社に返信封筒をつけて問い合わせの手紙を出すほどだった。そんなことから人脈も知識も桁はずれになり、客船からタンカーまで、構造、設計、航路と知りつくし、著書も多数。船やマークのデザインや命名などもこなし、多くの海運会社から名誉船長の称号も贈られている。
柳原の絵画作品でも、船や港を描いたものが圧倒的に多く、どれも常に新鮮な喜びに溢れて描きこまれており、本当に船が好きなのだということが伝わってくる。
広告の仕事と船の仕事に共通するのは、戦後日本の発展の中で、庶民に一歩先んじて、楽しいもの、贅沢なものを求め、驚くべき精力と貪欲さで、海外の情報や体験を蓄積し、紹介したことだ。
写真は昭和五十年(一九七五年)七月の「文藝春秋デラックス ロマンの世界 『海と船と日本人』」の座談会の折のもの。森繁久弥が豪華なヨットの話をし、近藤啓太郎が房総で漁師をしていた話を、柳原がクイーン・エリザベス二世号に乗船した話をしていて、三人ともいかにも昭和の男のロマンといった笑顔をしている。
平成二十七年八月十七日、八十四歳で他界。戦後の明るい知識欲に満ちた生涯だった。