インタビューほか

我われにあの記憶を喚起する祝日

「本の話」編集部 (作家)

『ジミーの誕生日』 (猪瀬直樹 著)

──有名な昭和天皇とマッカーサーの会見がありました。昭和二十年九月二十七日のことです。マッカーサーは軍服の略装で開襟シャツ、両手を腰にあてている。昭和天皇はモーニングに縞のズボン、ハイカラーにネクタイの正装で、直立不動の姿勢で映っている写真はよく知られています。翌年から東京裁判がはじまりますが、昭和天皇を不起訴とすることでアメリカはどのようなメリットを見出したのでしょうか?

猪瀬  昭和二十年八月三十日にマッカーサーはレイバンのサングラスに白頭鷲(わし)が刺繍された軍帽を深く被り、コーンパイプを口にくわえて厚木飛行場に降り立ちます。厚木の飛行場には八月十五日の昭和天皇による玉音放送があったあとでも反乱軍の兵士が徹底抗戦を叫んでいました。無理もありません。その直前まで特攻隊がつぎつぎと飛び立っていたのですから。マッカーサーの腹心、ホイットニー准将は厚木に着陸する寸前、“多数の高射砲陣地が眼についた。この距離では、高射砲が外れることはありえない。貪欲な戦場の怪物、死は無数の戦場でマッカーサーを見逃したあげく、結局おしまいには彼を殺してしまうのだろうか。わたしは息をのんだ”と記しています。日本軍は完全に武装解除をしていない状態だった。ポツダム宣言による無条件降伏の最大の眼目は日本の軍隊の武装解除にありました。武装解除の切り札は天皇である、と考えていたと思います。したがってマッカーサーは戦争責任を切り分けることにした。天皇には戦争責任がなく、東條英機元首相が真珠湾の攻撃を決定した政府の責任者、として処理することが最も効率がよかったのです。昭和二十年九月二十七日の昭和天皇・マッカーサー会見の時点で、その切り分けは終わっていた、と僕は考えています。だが、戦勝国の世論はヒトラーとヒロヒトの区別がつかない。昭和天皇を起訴して裁判に処せよ、あるいは重要証人として出廷させよ、というものでした。

  ここで重要なのはマッカーサーの地位だと思います。ドイツの場合にはアメリカ、イギリス、フランスとソビエト・ロシアがドイツを西ドイツと東ドイツに分割統治します。日本の場合も連合国軍の分割統治の可能性は否定できなかった。それぞれの立場をワシントンで調整していた。マッカーサーは連合国軍最高司令官という地位ですが、アメリカ以外の連合国軍の思惑を全否定することはむずかしい。マッカーサーは全知全能の如くふるまったが、出先の長官にすぎないのです。そこで連合国軍の調整がはじまるまえに天皇を不起訴にするための画策を急いだ。切り札は新憲法です。日本政府に自主的に憲法改正をさせようと急がせたが、遅々として進まず、しびれを切らしたマッカーサーは翌昭和二十一年二月三日、腹心のホイットニー民政局長(准将)を呼び、すぐにつくれと指示した。ホイットニーの片腕で実際に新憲法作成を切り盛りしたのはケーディス民政局次長(大佐)でした。ホイットニーとケーディスは二十五人の民政局スタッフを集め、二月十二日のリンカーン誕生日までに新憲法を作成しろ、と命じた。正味、一週間程度で新憲法がつくられた。目標を設定し、問題解決を確実に期間内に仕上げるという決断力・実行力がアメリカのやりかたです。こうしてソビエト・ロシア、イギリスなど連合国の代表による極東委員会がつくられた時点で、天皇を象徴にする、日本軍の武装放棄を確実にするという新憲法は間に合っていた。そして四月五日に極東委員会で天皇不起訴が決まった。

ジミーの誕生日
猪瀬 直樹・著

定価:1500円(税込) 発売日:2009年11月26日

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