明治二十四年(一八九一年)、山口県徳山村で船大工の長男に生まれたが、家業の不振から、高等小学校を経て大阪に丁稚奉公に出る。朝鮮にわたってさまざまな仕事に就いたが、向学心に燃え、独学で早稲田大学商科に入学する。卒業後は久原鉱業に入社したが二年足らずでやめて、東洋経済新報社の経済記者となる。ここで頭角を現し、三十三歳の若さで編集長に就任。二年後の大正十五年(一九二六年)に退社し、日本で初めてのフリーの経済評論家となった。
高橋を一躍有名にしたのは、昭和五年(一九三〇年)の金解禁に対する反対論であった。小汀利得(おばまとしえ)、石橋湛山などと共に堂々の論陣を張り、ついに政府を政策転換に踏み切らせたことは永く語り伝えられた。敗戦後、GHQにより政府、企業の要職に就くことを禁じられたが、日本経済研究所の創設にもかかわった。戦前戦後を通じて五十年以上にわたって、第一線で健筆をふるい、「大正昭和財界変動史」「日本近代経済形成史」など多数の著書を残した。
昭和五十一年、石油危機で不況に見舞われた日本経済再生の処方箋を問われた高橋は、歴史の教訓として「政府に頼るな」と強調した。
〈政府がなんとかしてくれるだろうなどと甘い期待をもってはいけません。われわれが、事業なり生活なりを肌身に感じている人が、早くどうしたらいいかを考えていく。そして、こうやれ、ああしろと政府をリードして鞭を打っていくべきですね。そういう空気を作らなきゃいけません。
官僚というものは平時において、何らかの先例があって、あれに追いつけ追い越せという段階では非常に優秀ですが、新しい方法でやらねばならないときはダメです。全体的に政府に頼るという考え方が多すぎますね。〉(「文藝春秋」昭和五十一年二月号「金融恐慌の嵐の中で」より)
写真はこのとき撮影されたもの。もし高橋が存命していたら、アベノミクスをどう評価するか、聞いてみたい気がする。昭和五十二年没。
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