本書の初稿に目を通された編集者S氏は「神話剥がし」との感想を口にされた。温厚な語りのなかに発せられたそのことばに、私は狼狽した。
最初からそのような意図があったわけではない。虚心坦懐に事実を直視する姿勢をつらぬいたにすぎない。その先にこそ、伊勢神宮の真実があると考えていたのである。その結果、著者自身、思いもよらぬ地平に躍り出ていたのであった。
認識が誤っていたと、事後になって気づく経験を我々は繰り返しているのではないだろうか。2年前に発生した原発事故もそうだった。原発安全「神話」を信じこみ、思考が麻痺していた。勿論この場合、神話本来の意味ではなく、根拠を欠く話、いわば認識の盲点という意味である。本書を書き終え、現代の「神話」は原発安全神話だけではないとつくづく思った。
伊勢神宮は『古事記』『日本書紀』神話に深く関係するが、本書で注目したのは「古代の姿を寸分違わず保っている」という、現代の伊勢神宮「神話」である。
式年遷宮がささえる「神話」
この「神話」に信憑性をあたえているのが、式年遷宮という慣行だ。20年に一度、宮を建て替えて皇祖神が新殿に遷る神宮最大の祭である。飛鳥時代末期、女性天皇・持統の下で690年に始まり、今年10月に第62回を迎える。目の前に古殿があるのだから、そっくりそのまま造り替えることができる、だから「古代のまま」そこにあるといわれれば、だれしも納得しよう。
だが調べてみると、事実は大きく違っていた。ひとことでいえば、当初に比べて驚くほど立派になっているのである。そこには〈成長-停止-復興-過剰-修正〉という、長期中断を含む変遷の大きなうねりがあった。伊勢神宮といえども、歴史の時間をまぬがれることはできなかったのである。そうした過程の全てをひっくるめて、伊勢神宮の現在があることがわかった。
考えてみれば、当然のことであろう。しかし、こと伊勢神宮に関しては、「古代のまま」という神話が罷り通ってきた。この伊勢神宮「神話」は、記紀神話とは別種の、もうひとつの「神話」なのである。
現代の神話にたいする「神話剥がし」なら、大いに意味があるにちがいないと思った。なぜなら、ほんとうの伊勢神宮に出会うには、是非とも必要な作業であるからだ。これを突き抜けて、初めて、伊勢神宮はリアルなすがたを見せるのであった。
伊勢神宮と欽定憲法
式年遷宮に着目することによって、もうひとつ、現代につながる思わぬ発見があった。それは、欽定の大日本帝国憲法が式年遷宮の年に合わせて発布されたことだ。これには一瞬、わが目を疑った。思ってもみなかったことだからだ。その後、あたう限り文献を渉猟したが、これを指摘する論書はまったく見当たらなかった。これも盲点か。
調べてゆくなかで、驚きはさらにひろがった。この年、明治22年には皇室に関わる重要事案が目白押しなのであった。たとえば、宮中三殿に皇祖皇霊が遷座する、皇室典範が制定される、歴代天皇陵の指定作業が完了する、(のちの大正天皇の)立太子礼が大幅に前倒しして挙行される……。
憲法は紀元節に合わせて発布されたが、この日取りは明治天皇自らの発案なのであった。発布年を式年遷宮の催行年に合わせたのも、天皇の意思であった可能性が高い。皇祖神が遷座する日、明治天皇は東京から伊勢に向って遥拝するのであった。
皇祖をまつる伊勢神宮は、「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と謳う欽定憲法の内実を担っていたのである。「古代復興」を旗印に、この年の式年遷宮において伊勢神宮は大いに「改正」されたが、同時に、欽定憲法の発布を最大限寿ぐのであった。
式年遷宮を計測目盛として歴史を見ると、伊勢神宮と天皇の様々な貌がクローズアップされてきた。この時、式年遷宮は単なる目盛ではなく、歴史を見はるかす窓ともなった。天皇に関わるこの国のかたちが伊勢神宮をとおして、リアルに見えてきたのである。
神話と現実が今も表裏一体をなす、伊勢神宮という不思議な存在――。ここから、この国の現在そして未来に想いを巡らせていただきたく思う。それは我々自身の行く末への問いかけともなるだろう。本書がその一助になれたら、と願うばかりである。
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