中国だけではなく、アメリカのTPPによるアジア太平洋への支配も、ロシアの北方領土をめぐる態度も、イランの核開発も、みな同じ新・帝国主義のルールにのっとって行動しています。
今や「帝国主義」という言葉の悪魔祓いをして、冷静に現実を認識するときなのです。新・帝国主義下の情報を収集し、それをもとに、いかに自国の国益を増大するような「物語」を構築できるかという、ストーリーテラーとしての能力が必要とされているのです。
なぜなら、日本人も日本国家も、この新・帝国主義の時代をサバイバルせねばならないからです。なぜ生き残らなくてはならないか。父母や祖父母たちから引き継いできた日本を、われわれもまた子孫に継承していかなくてはならないから。そこに、理由はありません。あえていえば、「そうなっているから、そうするのだ」ということです。
神、愛、家族、民族、国家などもっとも重要な事柄については、なぜそれが必要かという理由を究極的には説明できません。人間が、神、愛、家族、民族、国家などについて語るのではなく、神、愛、家族、民族、国家などがわれわれに対して何を語っているか、虚心坦懐に耳を傾け、その内在的論理をつかまなくてはならないのです。
この内在的論理から、生き残りのために必要な、人間の叡智が生まれてくる。こういう叡智を、英語ではインテリジェンスといいます。インテレクチュアル(知性)とは、後天的に学習して身につけた知識です。いっぽうでインテリジェンスは、「あの猫はすばしっこくてなかなかつかまらない。インテリジェンスがある」と動物に対しても用いられる。人間を含む動物が、生き残るために必要となる情報や知恵は、すべてインテリジェンスです。
また、神学の世界には、「総合知に対立する博識」という格言があります。つまり、断片的な知識をいくら持っていても、それは叡智にならないのです。日本型の受験秀才や、その結果である官僚の思考では通用しない所以(ゆえん)です。
有識者に課せられているのは、断片的な知識をいかにつなげて、国民を統合するような「物語」にするか。ここでもストーリーテラーとしての能力が必要となります。そのためには、読書人階級の再生と、ただしい意味でのエリートの育成が急務です。
3・11以降、日本の危機はいっそう目に見えるものとなりました。橋下徹氏をめぐるブームも、東京大学の秋入学への試みも、新・帝国主義の時代に適応すべく、日本が国家としての生存本能をかけて身悶えしていることのあらわれなのです。食うか食われるかの外交ゲームの中で、日本が少なくとも食われないようにする、その処方箋をぜひとも読んでいただきたい。
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