文春写真館

あらゆる権力に映画で挑み続けた
激情の監督 大島渚

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

あらゆる権力に映画で挑み続けた<br />激情の監督 大島渚

 生涯、反骨の人であった。その映画づくりは、つねに「人間の尊厳を奪う大きなもの」への怒りに満ちていた。先祖は対馬藩士の家系といわれる。農林省の水産学者だった父が、瀬戸内海のカニ・エビの研究で岡山にいた昭和七年(一九三二年)に生まれた。六歳で父が死去、母の実家の京都に移る。京都大学時代には京都府学連委員長など学生運動につとめた。

 卒業後、松竹に入社。昭和三十四年に「愛と希望の街」で監督デビュー、「青春残酷物語」などが人気を博し「松竹ヌーベルバーグの旗手」ともてはやされたが、戦闘的な映画づくりから、社内でも異端児扱いされる。昭和三十六年、安保闘争を扱った「日本の夜と霧」の公開を会社が中止したことに猛反発し、退社。独立後も社会派ドキュメンタリーや政治色の強い映画を作り続け、評価を高めていく。

 阿部定事件を題材にした「愛のコリーダ」(昭和五十一年)では、社会の底辺で疎外された人々の心理を描くため、過激な性描写を試みる。日仏合作とし、日本の検閲を逃れるためフランスで編集した。これが国際的な評価を確固たるものとすることになる。

「戦場のメリークリスマス」(昭和五十八年)では、坂本龍一、ビートたけしを俳優として発掘。これが結果として今日の映画界に大きく貢献したことは言うまでもない。

 テレビの討論番組の論客としても活躍。大島監督の舌鋒は名物となるが、その映画作りの経歴に裏打ちされた怒りは、皆を納得させ、罵声さえも人々から愛された。

 平成八年(一九九六年)に脳出血に見舞われるも、驚異のリハビリで復活。「御法度」(平成十一年)では鬼気迫る監督ぶりを見せる。紫綬褒章、フランス芸術文化勲章を受章、その間も闘病生活を続ける姿を社会に見せ、人々に勇気を与えた。

 平成二十五年一月十五日、肺炎のため没する。八十歳であった。

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