2014.08.04 文春写真館

朝倉摂が作り出す、伝統と前衛が混淆した舞台美術

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

朝倉摂が作り出す、伝統と前衛が混淆した舞台美術

 蜷川幸雄の「近松心中物語」や「ヤマトタケル」の、暗闇の中に果てしなく空間が広がるような舞台。映画「夜叉ヶ池」や「悪霊島」の、日本情緒に満ちた美術。朝倉摂の作り出す場面はどれも、伝統と前衛が混淆した、戦後日本の象徴のような作品だった。

 大正十一年(一九二二年)、近代日本を代表する彫刻家・朝倉文夫の長女として生まれる。父の方針で学校へは行かず、江戸情緒の残る東京・谷中にあった、純和式とモダンな洋式の折衷した邸宅で、家庭教師に学んで育つ。

 父の人脈から伊東深水に師事して日本画を描き、十九歳で新文展(現・日展)に入選。だが権威的で窮屈な世界に飽き足らず、様々な新しい会派に参加、小説の挿絵や絵本なども手がけるようになる。

 戦後、フランスのバレエの来日公演を見て舞台美術に惹きつけられたが日本はまだ貧しく、指導者もなく、「拾った板や鉄くず、空き瓶などを舞台で使えるよう手を加えた」(朝日新聞「定年時代」東京版平成二十年=二〇〇八年八月上旬号)。

 昭和四十五年(一九七〇年)に、ロックフェラー財団の奨学生として渡米。本格的に舞台美術を学び、蜷川幸雄をはじめ市川猿之助(三代目)、唐十郎などの舞台美術で勇名をはせた。

〈朝倉さんの美術は細部が優れていた。「下谷万年町物語」のように下町を舞台にした作品は、ご自身下町生まれでもあり、お手の物。物干し場の装置を見ただけでドラマが想像できた〉

〈日本画家でありながら欧米の美術も勉強され、両方造詣が深かったから装置に奥行きがあった。日本土着の要素に欧米美術を混合させる手法は見事〉(産経新聞平成二十六年四月一日 蜷川幸雄氏談)

 九十一歳で亡くなった時の記事である。江戸っ子らしさと、ジャンルを問わず縦横無尽に活躍する活力に溢れた表情は平成十三年、七十八歳の折の撮影。

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