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西村賢太の世界

西村賢太の世界

文:小谷野 敦 (作家)

『小銭をかぞえる』 (西村賢太 著)


ジャンル : #小説

 これは北町貫多という主人公、すなわち賢太自身が、女にもてるなどということもない窮乏落魄の生活を送り、時には売春・準売春の店へ行って性欲を満たすうち、ようやく「恋人」らしき女が出来、同棲を始めるのだが、女への不満からしばしば暴力を振うというものだ。「小銭をかぞえる」はその続きであり、地方にいる女の父親から、藤澤淸造全集を出すための資金として三百万円の借金をしつつ、古書店へ向ってつい好みの書籍を贖(あがな)ってしまうといった生活ぶりを描くもので、これが賢太の「現在もの」である。

 二〇〇六年二月号の『野性時代』から、しばらく同誌に載せたのは、のち単行本『二度はゆけぬ町の地図』に収められた、「昔もの」とも言うべき、若い頃の生活を描いたものである。西村の小説には、繰り返し、父親の猥褻事件と、淸造への傾倒が描かれることになる。賢太は〇七年十一月号『文學界』に載せた「小銭をかぞえる」で、二度目の芥川賞候補となるが、選に漏れた。しかし当時既に賢太は一部では私小説作家として注目されつつあって、前年初めて小説を発表した私は、新聞の文藝時評で、賢太の「暗渠の宿」と並べて道徳的批評の餌食とされたことを、半ば嬉しく思ったものである。

 その「小銭をかぞえる」と「焼却炉行き赤ん坊」という、『文學界』所載のものが収められたのが本書である。私は「昔もの」よりも、この、どういう経緯かは分からないが賢太と同棲している女との関係を描いたものが、賢太の小説の白眉だと思っている。

 何も昭和三十年代ではなし、もし男の暴力が嫌であれば、女はいくらでも逃げ出せるのであって、現に女はその後逃げ出したようである。私小説について、手記とどう違うのかといった疑念を抱く人がいるのは当然だが、それは別に確固たる区別はない。この点、西村の最近の自解は、私小説の虚構性を強調し過ぎていて、事実そのままの私小説を排する傾きがあるのは、遺憾とするところである。

「赤ん坊」は、女が大切にしていたぬいぐるみのことである。実は「現在もの」も、『暗渠の宿』のあたりでは、いくぶん陰惨過ぎる気がしていたのだが、それがこの『小銭をかぞえる』では、既に女も分かって演技をしているような、ユーモアが漂ってくる。しかし、賢太の、ダメな自分を描いているといった言い方を、あまりそのまま受け取るのは、賢太の計略にはまっているものだともいえよう。

 西村の小説を「エンターテインメントに昇華」されているなどと称するのは、娯楽小説を純文学の上にでも置くかのごとき本末転倒であってまことに失礼であり、私小説こそ純文学の精髄なのである。

小銭をかぞえる
西村 賢太・著

定価:1650円(税込)

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