書評

西村賢太の世界

文: 小谷野 敦 (作家)

『小銭をかぞえる』 (西村賢太 著)

 私小説作家・西村賢太は、一九六七年七月十二日に生まれた。父の姓は不明である。実家は東京で祖父の代から運送業を営んでおり、江戸川区にあった。母は西村家の三女だった。子供時代は裕福だったらしいが、七七年春には、老人ホームで母方の祖母が死去、七八年、賢太が小学校五年生の時に、父親が強制猥褻で逮捕され、刑務所入りした。賢太は離婚した母と、三歳上の姉とともに千葉県船橋市のアパートに移り、その後町田に転居、八三年、中学を卒業した。高校には進まず、鶯谷などで一人暮らしをし、肉体労働などで日を送り、八七年頃には伊勢佐木町に住んでいた。

 賢太が文学に目覚めたのは、土屋隆夫の『泥の文学碑』に収められた同題短篇の、田中英光を扱ったものを読み、田中の無頼な生活ぶりに関心を持ったからである。伊勢佐木町の古書店で初めて『田中英光全集』の一冊を買ったのは八八年秋のことである。賢太が初めて、自費出版で『田中英光私研究』の第一輯を出したのは、九四年一月、二十六歳の時である。その前年、田中の友人であった宇留野元一に、初めて手紙を書いたという。『田中英光私研究』は、八輯まで続き、九六年十一月に、その宇留野の追悼特集を出して終っている。

 それまでに西村は、恐らく田中に限らぬ、大正から昭和にかけての、葛西善蔵、嘉村礒多といった破滅型私小説作家の作品を読み尽し、その周辺も調べ尽くしていたのである。その書誌学的、伝記的研究の精緻さは、同年輩の大学院生のうち、優秀な部類に匹敵するものであって、テクスト論などという手抜きの研究をしている末輩の遠く及ぶところではないのである。このことは、中卒の西村が芥川賞をとったなどという表面に気を取られている世間の軽薄を鋭く浮かび上がらせる。

 その後、西村の足跡は、また分からなくなる。同人誌『煉瓦』に参加したのは、二〇〇三年夏、三十六歳の時であった。その頃既に西村は、藤澤淸造という、不遇のうちに孤独死した無頼派作家に傾倒し、死後の弟子としてその研究を行っていた。その、淸造との関わりを小説として描いたのが、「墓前生活」で、以後「春は青いバスに乗って」「けがれなき酒のへど」を翌年までに『煉瓦』に掲載し、〇四年十二月号『文學界』に、同人雑誌優秀作として「けがれなき酒のへど」が転載され、賢太の「文壇生活」が始まるのである。一方〇五年三月には、『花袋研究学会々誌』に「藤澤淸造と田山花袋」を寄せてもいる。同年、『群像』五月号に「一夜」、そして同年九月号同誌に載せた「どうで死ぬ身の一踊り」が、久世光彦らの絶賛を受けて、初めて芥川賞候補になったのである。

小銭をかぞえる
西村 賢太・著

定価:1650円(税込)

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