著者の伊藤貫氏は無限大の突進力に加えて情愛の心をもった希有の人である。そういう人には眼前の大事が小事に見える。早く言えば大局観で、それがある人はある人同士の交際をつくることができるが。
長くアメリカに住んだ伊藤貫氏の日米論やアメリカ論にはそれを感ずる。余人の及ばぬ国際関係論が本書にはつぎつぎと開陳されて、本書は日本人の固定観念を打破する貴重な一書になっている。
その骨子はアメリカの一極支配論は間違いで、アメリカはそれを実現できない。したがって世界は多極化し、各国のバランス・オブ・パワー・ポリシー(勢力均衡政策)が交錯する時代になると言うもので、それ自体はごく常識的なものである。
江戸時代の日本人は“強きを挫き、弱きを助ける”のが男のすることで、それがみんなのためになる生き方だと考え、上は徳川幕府から下は町人の一人ひとりまでがそれを実行したが、なぜか戦後の日本外交はちがった。
アメリカは強いと考えて盲従したが、そのおろかさが今年は内外ともにハッキリすると思う。
アメリカは日本を従属させるためには“国際社会から孤立する”との圧力をかければ何でもできると考えたが、今はアメリカの方が孤立しかけていて、時代は刻々と変っている。
それが見える日本人と見えない日本人がいるが、どちらもこの本を読むと良いと思う。ワシントンで活躍する政治家・学者・外交評論家のナマの声がきける。ワシントンにはたくさんの日本人がいるが、外交官でも新聞記者でも学者でも先方とここまでの意見交換をしている人はいない。
無限大への突進力がないサラリーマンばかりだからである。
但し、同じ日本人でもビジネスマンはちがう。商売には双方ともが利益になる解決が必らずあるから、本来、衝突は存在しない。必要なのは無限大への突進力とアイデアで、それは不思議なことだが情愛の念から生まれる。
アメリカには3つの顔があって、第1は、ワシントンのアメリカで、第2は、ニューヨークのアメリカである。どちらも無限大の突進力を自慢にしているので、日本人からみると周囲への情愛と自制心がない。唯我独尊になって、世界に嫌われる。第3は、田舎のアメリカで田舎には自制心と情愛がある。
ところで日本は、ワシントンのアメリカについては多少知っているが、ニューヨークと田舎については、ほとんど知らない。わずかに金融と貿易の人が部分的な体験をもっているだけで、田舎については、現地の工場建設や資源開発で苦労した人が知っているだけである。そういう日本人が書いた日本語のアメリカ論は、不思議なことにアメリカの書店には各種あるが、日本にはない。
また、日本にはアメリカの狡猾さや弱肉強食の略奪主義を指摘する本がない。日本にあるのはアメリカ賛美の本ばかりだから、そういう本を読んで予備知識としている日本のエリートは最初から位負けである。真実に迫る議論をしないから、先方は日本人に会うのは時間の無駄だと思っている。
日本の方も、先方への批判ととられかねない質問はさし控えるのが礼儀だと思っているが、アメリカでは質問できないのは愚鈍か、または相手への愛情不足で距離を置いているからだと解釈される。
その点、ビジネスマンは、商取引実現のためとあらば、何をきいてもいいし、先方も答えてくれる。だから国際交流は、ビジネスマンにさせるのが良いと、かねて思っているが、伊藤貫氏も、なかなかに突っこみ、アメリカは、それに対してまた会おうと答えている。
この本で、読者は伊藤貫氏の人柄とアメリカ人の気質をまなばねばならない。
アメリカが20年前「ユニラテラリズム」を唱えたとき、それは無理だと考えて私は『名誉ある孤立の研究』(PHP研究所刊、1993年)を書いたが、いよいよそうなってきた。
また、10年前にアメリカの略奪主義はいずれ国内の共食いになると書いたが、貧富の差の拡大で中流階級が絶滅危惧種になってきた。
中流がいないアメリカは世界の信用を失っていずれ一極支配はもちろん、勢力均衡戦略もできなくなるだろう。
著者はこの展望をもとに日本よ自立せよと説いている。
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