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志村喬 「生きる」迫真の演技の背景

志村喬 「生きる」迫真の演技の背景

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

 俳優・志村喬は、明治三十八年(一九〇五年)、兵庫県朝来郡生野町(現在の朝来市生野町)に生まれた。黒澤明監督作品への出演は、三船敏郎の十六作品を大きく上回る二十一作品である。

 初めての映画出演は、無声時代の昭和九年(一九三四年)、「恋愛街一丁目」(上砂泰蔵監督)。昭和十四年には、実に二十六本に出演している。黒澤映画には、昭和十八年、「姿三四郎」から登場し、柔術師範、村井半助を演じる。戦後は、「わが青春に悔なし」「酔いどれ天使」「野良犬」「静かなる決闘」「羅生門」「醜聞 スキャンダル」「七人の侍」など、数々の名作に出演。とりわけ、のこり少ない命をかけて公園建設に奔走する公務員を演じた主演作「生きる」(昭和二十七年)は強い印象を残した。

〈死の近づく渡辺勘治を演じた半年間に、志村喬は頬骨がはっきり見えるところまで痩せてやつれた。志村は「生きる」のクランクイン間近に盲腸の手術をしている。移動性盲腸で位置がとらえにくく、かなりの手術になり、体重も減った。黒澤監督は、その“やつれ”の維持を求めたという〉(澤地久枝『男ありて』文藝春秋)

 この演技により、昭和三十六年のベルリン映画祭でセルズニック金賞を受賞した。

 昭和四十年代以降は、テレビドラマに主な活躍の場を移し、向田邦子脚本の「冬の運動会」「あ・うん」などに出演。

〈向田さん事故死の昭和五十六年(一九八一)八月、志村さんは、/「これでもう、テレビの仕事はこないな」/と夫人に語ったという〉(同前)

 言葉通り、この年六月に放映された「続 あ・うん」が名優・志村喬の最後の演技になった。昭和五十七年二月十一日、慢性肺気腫による肺性心のため永眠。七十七歳の誕生日を一ヶ月後に控えた日であった。

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