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「悪役を演じたことがなかった」宇津井健がなりたかった托鉢僧

「悪役を演じたことがなかった」宇津井健がなりたかった托鉢僧

文・写真:「文藝春秋」写真資料部


ジャンル : #ノンフィクション

「悪役を演じたことがなかった」といわれる宇津井健は、昭和六年(一九三一年)、東京の深川に生まれた。勝新太郎とは幼い頃から親交があった。早稲田大学で演劇を学んでいたが、昭和二十七年、在学中に俳優座養成所に第四期生として入る。同期には、佐藤慶、佐藤允、仲代達矢、中谷一郎といった顔ぶれがいた。

 翌年、映画「思春の泉」で主役に抜擢される。乗馬が得意で、「裸馬を乗りこなす」条件に合う役者がなかなかみつからなかったために回ってきたチャンスだった。昭和二十九年、新東宝に入社。「スーパージャイアンツ」シリーズで主演をつとめるなど若手スターとして活躍するが、新東宝が倒産し、昭和三十六年、大映に移籍。テレビドラマに活躍の場を求めた。

 昭和四十年に始まった「ザ・ガードマン」では「高倉キャップ」として主役をつとめ、高視聴率をマーク。約七年間にわたり放映される長寿番組となった。さらに「赤い疑惑」など山口百恵と共演した「赤いシリーズ」でも、父親役として存在感を見せ付けた。「さすらい刑事旅情編」を最後に連続テレビドラマから遠ざかっていたが、平成十八年(二〇〇六年)に放送開始の「渡る世間は鬼ばかり」の第八シリーズで、体調不良の藤岡琢也に代わって岡倉大吉を演じた。

 善人役ばかりだった宇津井健がなりたかったというのが、托鉢僧。

〈子供の僕は、あの袖巾の広い墨染めの衣や、手甲、脚絆という服装に、とてもあこがれたものである。

 戦後、まだ僕が俳優座の研究生で、銀座かぶれしていた時分に、御幸通りの賑やかな角で、昔ながらの托鉢僧の姿を見かけて、子供の頃とは全然異質のショックを感じさせられた。墨染めの衣の下は何であれ、それに身を包もうとする意志を、その時ほど鮮烈に印象づけられたことはなかった。

 以来、僕自身なれそうもない托鉢僧に一層のあこがれを抱いている〉(「週刊文春」昭和三十八年十二月三十日号「私はこれになりたかった」より)

 平成二十六年三月十四日没。

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