「『補遺』はどうなさいますか。小生はこれを読む愉しみを一人や二人が享受すべきものではなく、後の世に遺すべきものと存じます。『一海軍士官の記憶』といったふうのささやかな題をつけて、御原稿の前後をほんの数頁整えてしまえば立派に客観的価値を生ずべきものだと思います。(以下省略)」
いきなり補遺などと言われても何のことかさっぱりお分かりにならないでしょう。当然です。実はこれ、司馬遼太郎先生が、私の父生虎(いくとら)に下さった手紙の一部分なのです。
司馬先生が「坂の上の雲」を執筆されることになった際、父は先生のご依頼を受けて海軍に関する実にさまざまな情報や資料を、お届け致しました。その資料の中に、日露戦争に海軍大尉として参戦した祖父義太(よしもと)の伝記「正木義太傳」とその補遺が含まれていたのです。
「傳」の方は祖父が亡くなった直後に、父が中心になってまとめた四百ページ余りの本ですが、父はこれでは充分な説明になっていないと思ったのでしょう。「先生、お驚きにもなりましょうし、ご迷惑をお感じでもありましょうが、同封別冊は先生への手紙でございます。」と言う書き出しで伝記の補遺を先生にお届けしていますが、そのボリュームたるや半端なものではなく二百字詰めの原稿用紙で約四百枚もあり、さらに補遺の附録として略々(ほぼ)同じ程度の枚数が添付されていますので、両方を重ねると約八センチの厚さになります。恐らく郵便小包でお届けしたものと思われます。
これでは父ならずとも「お驚きにもなりましょうし、ご迷惑をお感じでもありましょう」と恐縮する次第です。後日、何かの本の中に「司馬遼太郎は尨大(ぼうだい)な資料に驚くべきスピードで目を通し、そのエッセンスを的確に把握する優れた能力を持っている。」と書いてありましたので、少しホッとしましたし、お届けした資料には祖父のことばかりでなく、当時の海軍の雰囲気と言ったものも含まれていましたので、ほんの少しはお役に立ったのではなかろうかと思っています。