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本当の心の隣にある聖書

本当の心の隣にある聖書

文:池澤 夏樹 (作家)

『イエスの言葉 ケセン語訳』 (山浦玄嗣 著)


ジャンル : #ノンジャンル

 それにしてもなぜケセン語なのだろう? この言葉を話す人は岩手県南部の気仙地方、具体的には大船渡市、陸前高田市、住田町、それに釜石市唐丹地区、合わせて8万人に満たない。

 なぜ山浦玄嗣はこの狭い地域の数少ないキリスト教の信者のために福音書を訳したのか?

 ここには医者という山浦さんの本業が力を貸したとぼくは推測する。開業医の仕事の第1は患者の訴えを正しく聞くことである。患者は生活の言葉すなわちその地方の言葉で話す。患者に伝えるべき治療の方針も山浦さんは同じ言葉で告げたのだろう。標準語の権威を押しつけはしなかっただろう。

 イエスは魂の医師だった。そして、ガリラヤという辺境の出身で、その言葉は訛っていた。おそろしく頭がよかったから標準語にも熟達したけれど、しかし郷里の言葉を忘れなかった。

 山浦さんは神父ではないが、教会で仲間の信徒に大好きなイエスのことを話す機会が多かった。その時に、目の前にいる人たちに向かって「洗礼」とか「福音」とか、頭で作った漢字の言葉では通じないと気づき、どう言えばわかってもらえるかと考えて、診察室の言葉を思い出したのではないか。

 それを聖書の翻訳に応用した。1語1語、この言いかたであの人に伝わるか、イエスを慕う仲間たちの顔を思い浮かべての言葉選びだったのだろう。

「山の上の教え」をみんなの前で初めて読み上げた時、ある高齢の女性が「いがったよ! おら、こうして長年教会さ通(あり)ってね、イエスさまのことばもさまざま聞き申してきたどもね、今日ぐれァイエスさまの気持ちァわかったことァなかったよ!」と言ったという。

 翻訳というのは、書いた者と読む者を隔てるはるかな距離を結ぶ試みである。遠く離れたA点とB点をつなぐ。

 これまでの聖書は、文語訳も口語訳も「新共同訳」も、その他もろもろ、A点とB点の中間地点までしか届いていなかった。その先は読む者、すなわち信徒の教養に任せてしまった。漢字熟語のシステムを知らないままイエスに近づこうとする者は「せんれいをさずけ……」と聞いて、何を何したのかと訝しむまま置き去りにされた。

 山浦聖書はそこのところを変えた。

 なぜ「御国が来ますように」が「お取り仕切りの来るように」になるのか? 来るべき理想の状態は領土をもつ国ではない。それは人と人の間にある。人と人が「互いにわかりあい、認めあうことは、何とすばらしいことではないか。神さまのお取り仕切りは今まさにおれたちのあいだで実現しているのだよ!」とイエスは言う。

 ケセン語では狭すぎたと思った山浦さんは「世間語」訳を試みた。その成果、『ガリラヤのイェシュー』(イー・ピックス出版直販のみ 0192-26-3334 mail@epix.co.jp)はすべての日本人に読めて、いよいよすごい。

 そういう大事業のからくりを明かしたのが今回の『イエスの言葉 ケセン語訳』である。彼の仕事ぜんたいが津波の「お水潜り」を受けて、その水の中から堂々と復帰した。イエスが好きな人・翻訳に携わる人はみなこれを読んで戦慄すべきである、とぼくは思う。

イエスの言葉 ケセン語訳
山浦玄嗣・著

定価:819円(税込) 発売日:2011年12月16日

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