西武グループ創設者で衆議院議長だった堤康次郎の二男として、昭和二年(一九二七年)に生まれる。東京大学経済学部在学中に学生運動に参加、同級生だった氏家斉一郎に誘われて共産党に入党するが、のちに除名された。父康次郎に絶縁状を送ったこともあったが、昭和二十九年、西武百貨店に入社。四十一年、社長に就任する。「生活総合産業」を標榜して、西友や無印良品、パルコ、ファミリーマートなど新しい流通形態を立ち上げ、さらにホテルの買収、美術館開館と幅広い分野に進出、セゾン・グループとして一大グループを築いた。「おいしい生活。」「不思議、大好き。」など糸井重里らを起用したコピーは時代を象徴する言葉となった。
一方で西武鉄道を引き継いだ異母弟の堤義明氏との確執も伝えられた。
バブル崩壊後の九〇年代、西武百貨店の経営不振の責任をとり、セゾン・グループ代表の座を降りた。グループは平成十二年(二〇〇〇年)に解体された。
経営者としての顔とは別の、創作家としても異彩を放った。昭和三十六年、詩集「異邦人」で室生犀星詩人賞を受賞。昭和五十九年、小説「いつもと同じ春」で平林たい子賞を受賞するなど、詩と小説の分野で数多くの文学賞を受賞した。
さらに劇作家・安部公房や、作曲家の武満徹、一柳慧(いちやなぎ・とし)など、芸術家の支援も惜しまなかった。写真は平成八年撮影。
〈「最近、ようやく余裕ができました。これからは自分が経営者として経験してきたことをみなさんにお返ししたいと思っている」
経営者という権力から離れた今、本当に自由な立場からものを言っていきたいと語ったのは、「堤清二」の本心でもあり、「辻井喬」の本心でもあった〉(「文藝春秋」平成八年十月号「日本の顔」より)
平成二十四年、文化功労者に選ばれた。平成二十五年十一月没。