書評

ビジネスの勝負を決める「見えない刃」

文: 岸 宣仁 (経済ジャーナリスト)

『インビジブル・エッジ――その知財が勝敗を分ける』 (マーク・ブラキシル&ラルフ・エッカート 著/村井章子 訳)

  人間社会の発展段階を大きな流れでとらえると、「農業社会」に始まり「工業社会」を経て、今は「知識社会」に移行しつつあるといわれる。つまりポスト工業社会は、人間の「知」や「知識」が社会の発展を支える重要なカギを握るというわけだ。

 では、それらの知や知識とは、いったい何を指すのだろう。アイデア、ノウハウ、発明、トレードシークレット(営業秘密)……など、さまざまな言葉が脳裏に浮かんでくるが、これらを総称して「知的財産権」という言葉が最も的を射ている。

 本書は、この知的財産権が今日の社会でどのような意味を持つのか、世界屈指の知財ストラテジスト二人が徹底分析した“警世の書”といっていい。彼らは知財を「世界で最も貴重なリソースであり、新たに形成される富の源泉」と位置づけ、タイトルの『インビジブル・エッジ』には、見えない武器、見えない刃(エッジ)、見えない競争優位(エッジ)の意味合いが込められている(コンサルティング業界では、持続可能な競争優位のことをエッジと呼ぶそうだ)。

 その「見えない刃」による熾烈な戦いが数多くの事例研究によって明らかにされるが、「タイガー・ウッズはなぜブリヂストンのボールを選んだのか?」という刺激的なプロローグから話は始まる。

 飛距離とコントロール性能を両立させるゴルフボールの開発をめぐり、日本のブリヂストンがマルチピースボールと呼ばれる多層構造のボールで勝利を収める。細かい開発の経緯は本書に譲るが、業界トップシェアのタイトリストはこの新技術を盗んだ結果、ブリヂストンとの知財訴訟に敗れた。業界通によればタイトリストがブリヂストンに払うライセンス料などの総額は一億五〇〇〇万ドルにのぼるという。

 まさに見えない刃によって、ビジネスの勝敗が見事に分かれたケースだが、知識社会に突入した今日、そうした事例は枚挙にいとまがない。インテル、ヒューレット・パッカード(HP)、トヨタ、IBMなど名だたる企業の知財戦略からは、研ぎ澄まされた刃の切れ味の鋭さが伝わってくるが、ここではサメ型企業のクアルコムと、イノベーション・ネットワークを駆使するP&Gの例を紹介しよう。

 われわれが現在使っている第三世代(3G)携帯電話の通信規格はCDMA方式と呼ばれ、米知財専業企業のクアルコムが開発したものである。通信技術者でありMITの教授でもあったアーウィン・ジェイコブズ氏が一九八五年に設立したこの会社は、「イノベーションに専念し、製造は他社に任せる」という基本方針の下、知財に特化した経営を続けてきた。

 その結果、同社が保有する特許からのライセンス料収入とCDMAチップの設計料が、全売上高三〇億ドルの九〇%を占めるまでになった。知識社会への移行と並行するように利益は爆発的に増え、売上高利益率は四〇%近くまで跳ね上がっている。

 ただし、知財で稼ぐ企業は常にイノベーションを続けなければならない宿命を負う。あたかもサメが生存のために、常に泳ぎ、餌を追い続けるように……。

インビジブル・エッジ
マーク・ブラキシル・著 , ラルフ・エッカート・著 , 村井 章子・訳

定価:1890円(税込) 発売日:2010年10月16日

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