文春写真館

アンパンマン同様、元気なキャラクターを演じ続けたやなせたかし

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

アンパンマン同様、元気なキャラクターを演じ続けたやなせたかし

〈相変わらず精神は思春期だから、美しい異性を見ると恋してしまう。恋するということになると男はみんな異性の気をひこうとして、あれやこれやと馬鹿な行動をする〉(『天命つきるその日まで』)

 漫画家・やなせたかしがこう記したのは、平成二十三年(二〇一一年)、九十二歳のときのこと。ファッションにもこだわり続け、青春のみずみずしさを終生うしなわなかった。

 大正八年(一九一九年)、東京都に生まれ、高知県で少年時代を過ごす。東京高等工芸学校図案科(現・千葉大学工学部デザイン学科)卒業後、田辺元三郎商店(現・田辺三菱製薬)宣伝部に入るが、召集されて野戦重砲兵として、中国・福州に駐屯。

 復員後、高知新聞を経て日本橋三越宣伝部へ。現在も包装紙を飾る「mitsukoshi」のレタリングはやなせの手によるものである。

 漫画家専業になったのは昭和二十八年(一九五三年)。以後なかなか芽が出なかったが、昭和三十五年には永六輔演出のミュージカル『見上げてごらん夜の星を』の舞台装置を担当し、翌年には作詞した『手のひらを太陽に』が大ヒット。昭和四十八年からは雑誌『詩とメルヘン』編集長を務めた。

 代表作『アンパンマン』を本格的に描きはじめたのは五十四歳。昭和六十三年からテレビアニメとして放送が開始されると、爆発的な人気を得た。

 膀胱がん、腎臓がんを経験するなど、体調は六十代から万全ではなかったが、陽気で元気なキャラクターを演じ続けた。平成二十五年十月十三日、永眠。冒頭に掲げたエッセイは、以下のように結ばれている。

〈人生の晩年をよろめきながら生きのびている。ひそかに期待しているのが今話題のiPS細胞で、もしかしたらその実用化時代に巡り合えるかもしれない。/しかし保険はきかなくて高価だと思う。せっせと稼いで黄金の老後にそなえている〉

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