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「仁義なき戦い」「トラック野郎」菅原文太の「俳優は肉体労働」

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

「仁義なき戦い」「トラック野郎」菅原文太の「俳優は肉体労働」

 高倉健のあとを追うように亡くなった菅原文太は、昭和八年(一九三三年)生まれだった。父芳助は河北新報記者で、のちに洋画家・詩人として狭間二郎を名乗った。東京で少年時代をすごした後、生誕の地である宮城県に戻り、戦後、仙台第一高校に進学。新聞部に所属したが、一年下に井上ひさしがいた。

 早大第二法学部に進学後、在学中に劇団四季の一期生となる。早大を中退し、岡田眞澄らと日本で初めての男性モデルクラブ、ソサエティ・オブ・スタイルを設立する。昭和三十三年、スカウトされて新東宝に入社、「白線秘密地帯」で本格的に映画俳優デビューを果たした。

 長身の若手を集めた「ハンサムタワーズ」の一員として売り出されたが、昭和三十六年、新東宝が倒産し、松竹を経て東映に移籍する。若くしてスターの座に登りつめた同年代の高倉健とは対照的に、長く不遇をかこったが、昭和四十四年、「現代やくざ 与太者の掟」で初めて主演。東映は任侠から実録ものへと路線を転換し、昭和四十八年から始まった深作欣二監督「仁義なき戦い」シリーズでついにスターの仲間入りを果たす。また、愛川欽也とコンビを組んだ「トラック野郎」シリーズも、十作を重ねる人気作となった。

 映画以外にも活躍の場を広げ、昭和五十五年、NHK大河ドラマ「獅子の時代」に出演。その後、「武田信玄」「徳川慶喜」「元禄繚乱」「利家とまつ」など、大河ドラマでも数々の重要な役をこなした。

 平成十九年(二〇〇七年)に膀胱がんを発症。膀胱全摘を強く勧められるほど重篤だったが、慎重にセカンドオピニオンを求めて手術せずに温存療法を受けることを選択し、無事社会生活に復帰した。

「俳優は肉体労働だから、健康には気を使って病院には若い時からコマメに行く方だったから、病院馴れしているというか、病名を聞いてもあんまりビックリしなかったな。鈍感なのかな(笑)」(「文藝春秋」平成二十一年五月号「膀胱がんとの仁義ある戦い」より)

 写真はこの当時撮影されたもの。山梨県で農業を始め、映画俳優から事実上引退していた。平成二十六年十一月二十八日、他界。

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