「この連中は、ハポン・ノン・バナホン・ナン・ゲーラ(戦争中の日本人)とは違う種類の日本人なんだろうな」――
小説『炎熱商人』で、フィリピンの伐採権オーナーが、ラワン材を買いつけに来た日本人商社マンを疑って言ったセリフだ。
昭和六年(一九三一年)生まれ。生家は、かつては江戸城にも出入りしたという商家だったが、祖父の代に金融業となり、買収されている。
フランス系カトリックの暁星高校から早稲田大学法学部に入学。在学中から文学に傾倒し、卒業後も執筆を続けるが、その後日本航空に入社し、ロンドン支店駐在員や広報室次長などを歴任。
昭和五十一年、『新西洋事情』で第七回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。自身の経験を基に、ヨーロッパと日本の思考方法の違いを考察したルポルタージュで、経済成長による海外進出が盛んになりつつある時代に、日本人の特性を見直す本の嚆矢となった。
昭和五十七年に『炎熱商人』で第八十七回直木賞を受賞。戦争中のフィリピンへの侵略と、戦後の商社のビジネスを重ね合わせ、東南アジアへの日本の経済進出を冷めた目でつづった壮大なドラマだ。
その後日本航空を退社し、ジャンル問わず多くの作品を著した。
「国際化」と「バブル」の時代に、アジアを知るバイブルとなった『新東洋事情』シリーズや、北朝鮮と赤軍、チリの革命、インドネシアへの賠償協定などに材を取った「商人」シリーズ、新人スチュワーデスの成長を描いた『スチュワーデス物語』などがブームとなっている。
商人の計算、江戸っ子の心意気、西洋の教養、戦中と戦後の経験をすべて身につけ、戦後の発展と混迷の中で日本の現実を鋭く捉え、それでもなお理想の日本人像を模索し続けた。
平成二十六年(二〇一四年)七月、八十二歳で永眠。写真は平成十三年撮影。