- 2013.07.24
- 書評
『クラッシャーズ』解説
文:香山 二三郎 (コラムニスト)
『クラッシャーズ』上・下 (デイナ・ヘインズ 著 芹澤恵 訳)
出典 : #文春文庫
ジャンル :
#エンタメ・ミステリ
さて“お仕事小説”的な展開の序盤から中盤に入っていくと、謎解き小説プラス追跡小説の色合いが俄然(がぜん)強まってくる。謎解きとはむろん、誰がどうやって八一八便を墜としたかということ。爆発物の痕跡がないことから当初はパイロットの操縦ミスによる事故に傾いていく。それが人為的な犯罪によるものであることを知らされている読者はハラハラドキドキさせられるが、そこはさすがクラッシャーズ、些細な手がかりから犯行の糸口をつかんでいくのである。いっぽう時を同じくして、冒頭から顔を出しているダリア・ギブロンが実はイスラエルの元潜入捜査官で、今はFBI特別捜査官レイ・カラブレーゼの協力者として活動していることが明かされる。彼女が銃器を売った男が墜落事故に関わるテロリストであるらしいことも。そこから彼女の潜入譚の比重が次第に大きくなっていき、墜落原因の謎解きとともに犯人を追うFBIの捜査活劇にも拍車がかかることに。また潜入捜査官時代、国を裏切ることをした彼女にとって、今回の事件はいちど失った人生を取り戻すチャンスでもあった。トミーと同様、本書は彼女の再生譚でもある。
ちなみに、何故テロリストにアイルランド系を選んだのかという地元紙のインタビュアの問いに、著者が答えていわく──本書を書き始めたのは一九九九年で、九・──が起きる前のことだった。イスラム教テロリストはもはや月並みだし、ロシア系だと古臭い。自分がアイルランド系のアメリカ人ということもあって、半ば賭けに出るつもりで、政治的にはもはやコールド・スポットと化しているベルファストでも未だに暴力的なテロリストを生んでいるとしたことが功を奏した、と述べている。
とまれ、かくしてクラッシャーズの調査とFBIの捜査、そして犯人たちの謀略が絡み合い、物語は後半怒濤の勢いで突き進んでいく。
本書で初めて航空ミステリーに触れた人は、何故今までこういう作品に出会えなかったのかと思われるかもしれない。なるほど、墜落事故を扱った航空ミステリーは少なくないし、NTSBを主役にした作品も別に本書が初めてというわけではない。だが、墜落事故の調査に大がかりな犯罪を絡め、なおかつページを繰る手を止めさせないサスペンス術にも長(た)けた作品となると、数はぐっと減る。その点筆者は、著者のことを『スコーピオン1の急襲』を始めとする(アメリカでの刊行は『ファイナル・アプローチ』のほうが先だけど)航空もののスペシャリスト、ジョン・J・ナンス以来の逸材として歓迎したい──と書いたところで気がついた。NTSBの調査対象は航空機事故だけではなかった!
NTSBはアメリカの輸送関連の事故を調査究明し、事故防止を図るべく対策を立てたり勧告等を行う運輸省内の独立機関として一九六七年に設立された。七五年には運輸省から外れ、完全に独立した大統領直属の機関となるが、その調査対象は航空機事故以外にも、高速道路の事故、鉄道事故、海難事故からパイプラインの事故、さらには輸送中の危険物や有害廃棄物の漏洩・排出に至るまで、調査の必要が認められるものすべてに及ぶのだ。
本書はあくまで墜落事故調査班の活躍を描いたものだが、著者はクラッシャーズも含めNTSBの事故調査班すべての活躍を描こうとしているかもしれないではないか!
ま、それは今後のシリーズ展開を見ていくほかないが、そうなったらそうなったで、また別の楽しみが出てくるというものだ。考えてみると、本書の犯人は百数十人もの人を殺した大量殺戮者であり、ある意味シリアルキラーよりタチが悪い。それが犯罪によるものの場合、事故調査の対象が道路や鉄道に転じても、多くの犠牲者が出ることは容易に想像がつく。冒頭でドラマ『クリミナル・マインド』を引き合いに出したけれども、人命の救済という点においてはNTSBの事故調査班の使命はBAUより遥かに重いといえそうだ。
ちなみに、日本にもNTSBのような組織は存在する。航空・鉄道事故調査委員会や海難審判庁を母体とする国土交通省の運輸安全委員会がそれだが、発足したのは二〇〇八年一〇月。まだ出来たてのホヤホヤといったところで、幸いなことに彼らの出番が回ってくるような重大事故は起きていないが、この先マスコミで報道される機会が増えていくのは間違いのないところ。日本ミステリーでも本書のような本格的な事故調査ものが書かれる日も必ずや来ることだろう。
著者のデイナ・ヘインズについては、本書がデビュー作だと書いたが、一九八〇年代後半にコンラッド・ヘインズ名義で三作、オーソドックスなミステリーを出している(タイトルはBishop's Gambit, Declined' Perpetual Check' Sacrifice Play)。小説執筆の他、本書に出てくるオレゴン州ポートランドの市長チャーリー・ヘイルズのコミュニケーション・ディレクターも務めているが、もともとオレゴンの新聞社で二〇年以上にわたって編集者やコラムニスト、リポーターとして働いてきた。現在もポートランドで作家のケイティ・キング&愛猫のグラマーと一緒に住んでいる。
本書を読んだ人の中にはシリーズ化を望む声も多いはずだが、続篇のBreaking Pointがすでに刊行されていて、長篇第三作も出版されたばかり。そちらのIce Cold Killは本書の主人公のひとり、ダリア・ギブロンがヒロインを務めるスピンオフ作品らしい。ダリア・ギブロンものは続篇のGun Metal Heartも来冬刊行の予定とのこと。あるいは創作の中心はダリア・ギブロンものに移っていく可能性もないではないが、日本でもガンガン売れて新作が読めるようになることを期待したい。
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