本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
ドキッとするほどリアルな<br />価値観がぶつかり合うドラマ

ドキッとするほどリアルな
価値観がぶつかり合うドラマ

文:勝田 夏子 (NHK制作局ドラマ番組部ディレクター)

『下流の宴』 (林真理子 著)

出典 : #文春文庫
ジャンル : #小説

 林真理子さんの『下流の宴』は、2009年に毎日新聞で連載され、「格差社会」「縮みゆく日本」の現実を身近なホームドラマから描いて話題となった小説である。連載中、朝刊を小説の頁から読むほどハマっていた私は、2011年初夏、念願叶ってこの作品をテレビドラマとして演出する事となった。NHK『ドラマ10』枠で全8回、脚本は中園ミホさん、主演は黒木瞳さん。そのあらすじはこうだ。

 黒木さん演じる主人公・由美子は「中流」の「まとも」な家庭を維持する事にこだわり続ける専業主婦。息子の翔(窪田正孝)が高校をドロップアウトしてフリーターを続けている現状が許せず、元のレールに戻そうと躍起になっている。だが翔は、「お金」や「努力」に価値を見出せず、およそ「欲」というものを持たない青年だった。まるで「日本語が全く通じない外国人のように」由美子の言葉をてんで解さない。そんな翔がある日、ネットゲームで知り合った、由美子から見れば完全に「下流」なフリーター・珠緒(美波)と結婚したいと言い出す。由美子は猛反対するが、露骨に「下流」と蔑まれた珠緒にも意地があり、二人の女の綱引きはエスカレートしていく。そこに由美子の夫(渡辺いっけい)、母(野際陽子)、翔の姉(加藤夏希)、珠緒の母(余貴美子)、「大学受験のカリスマ」(遠藤憲一)など様々な人物が絡んで、最後にはあっと驚く結末が待っている。

 この小説の面白さは、正に「饗宴(狂宴?)」とも言うべき価値観のぶつかり合いだ。「上流」「中流」「下流」それぞれの階層の、多彩な価値観を持つ老若男女が登場し、半ば類型的に配置されていながら、一人一人の言動がドキッとするほどリアルなのだ。どの人物もそれぞれに愚かしく、ずるくて、でもそれぞれに切実で、そのくせ哀しいまでに噛み合っていない。

 恐らく読者によってどの人物に共感するかがはっきり分かれるだろう。同じ人物にも共感と反感、両方を覚えるはずだ。例えば主人公は「毒母」にも見えるし「健気な母」にも見える。翔も不甲斐ないかと思えば大人の醜さを見透かしているようにも見える。珠緒も「地に足のついた子」だが「自分の息子とだけは結婚させたくない下品な子」でもある……。

 この生き生きとした群像劇を映像化するにあたり、最も苦労させられたのは「やる気」も「欲」も持たないイマドキの青年・翔の造形だった。原作には、翔という人間の本質を突く台詞や描写が確かに出てくるが、それらは点であって線ではない。彼のような若者を多くのマスコミは「覇気がなく内向きで、消費もしない。このままでは日本はおしまいだ」と嘆くばかりだったが、このドラマではどの人物も多面的に描きたかった。だが私自身、そうした若者たちが実際どんなことをどのくらい悩んでいるのか(または悩んでいないのか)が今一つわからなかった。息子を持つスタッフたちもみな「うちの子は正に翔ちゃんです。何を考えているかわからない」とこぼしていた。

 無理もない。この小説のテーマは「世代間ギャップ」でもあるのだ。大人と若者の、親と子の意識のずれ、ディスコミュニケーション。家庭におけるすれ違いやいびつな母子関係などのパーソナルな問題が、現代日本の社会問題と密接に関わっていることを『下流の宴』は看破している。翔のような「親みたいになりたくない」若者たちが何故出てきて、これからどんな日本社会を作っていくのか、「低成長」の時代に新世代がどんな幸せを求めていくのか……そんなことを考えさせてくれる。もしこの作品が「格差社会」だけを云々し「上」だ「下」だと言っているだけだったら、ドラマ化しても大震災後の放送に堪えられなかっただろう。我々スタッフは「わからない」からこそ翔を理解する必要があった。

 私と中園さんはフリーター、ニート、元ひきこもりなど様々な若者たちに取材をした。そこで見えてきたのは「モノ」よりも「関係」や「共に過ごす時間」に重きを置く新世代の姿だった。原作でも、翔と珠緒が近所の公園で水筒のお茶を分け合ってまったりと楽しんでいる。震災後、巷にもそんな時間の大切さを見直す気分が確かにあった。

 勿論「彼らは世間知らず。ぼーっとしているだけ」という声があるのも承知している。だが私は、これからの日本社会は既存のシステムの下で如才なく立ち回るだけではしのげなくなる予感がしている。災害や原発事故、経済や外交の破綻……不安要素はいくらでもある。原作でもシステムから弾かれ「転落」する男たちが複数描かれているが、やがてシステム自体が崩壊した時、若者だろうが訳知り顔の大人だろうが、等しく立ち尽くすに違いない。

 その時、我々は何を大事に思うのか。今から想像しておいても損はない。

下流の宴

林真理子・著

定価:790円(税込) 発売日:2013年01月04日

詳しい内容はこちら

プレゼント
  • 『赤毛のアン論』松本侑子・著

    ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。

    応募期間 2024/11/20~2024/11/28
    賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様

    ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。

ページの先頭へ戻る