うちの犬は、一代目は白いオス「もっこす」、二代目は白いメスの「うらん」、三代目は黒いオスの「クロえもん」、三頭ともにトイ・プードルの「ぷーどるず」だ。
一代目のもっこすは七年前に他界し、いまは二代目のうらんと三代目のクロえもんといっしょに暮らしている。
同じ犬種? と思うほど三頭の性格はばらばらだ。もっこすはおおらかで平和的「ボーッ」、うらんは社交的で心配性「すくっ」、クロえもんは内弁慶の怠けもので「むちっ」。
この原稿を書いているいまも家の中をパトロールするうらんの足音が背後からツカツカと忙(せわ)しく聞こえ、足下からほかほかカーペットの上にごろ寝するクロえもんの寝息がスホースホーと聞こえてくる。対照的な二頭だ。ツカツカ、スホースホー、そしてパコパコとキーボードをたたく私。ツカツカ、スホースホー、パコパコ、犬と私の三重奏……、ああ、とっくに締め切りは過ぎているというのに、なんだかしあわせだなぁ、とまったりしてしまう。心拍数があがるような派手なしあわせではなく、ストーブで豆をことこと煮るような滋味に近い、長生きできそうなしあわせだ。
犬と暮らしていると、人間が犬をしあわせにする能力よりも、犬が人間をしあわせにする能力のほうが圧倒的にたけていることに気づかされる。
私が犬をしあわせにする方法は作為的であり、犬の飼い方の本で学んだことや、犬がうれしそうに見えるからすること、あるいは私がしてあげたいことであり、健康管理、清潔にするためのグルーミング、ときには心を鬼にして、ただしい躾(しつけ)、ボール投げ、一緒にいて撫(な)でることなど、ほとんど感情と知識に支配されている。