『のんのんばあとオレ』の冒頭、雪の境港市の風景の美しさは、見る者を圧倒する。水木しげるの描く風景の緻密さはつとに有名だが、この画からはそれ以上に、彼の故郷への深い想いが伝わってくる。
大正十一年(一九二二年)生まれ。境港の家で、「のんのんばあ」に妖怪の話を聞いて育つ。絵を描くことは得意だったが学校の成績は悪く、高等小学校を卒業後、何度も仕事についたり学校に入学したりするが、一つも続けられなかった。
二十一歳で召集されラバウルに出征。過酷な体験と玉砕命令の下を、奇跡的に生きのびたが、マラリアの療養中に爆撃で左腕を失う。
戦後もさまざまな仕事を試みたり、美術学校に入ったりするが、どれも長続きせず、やがて紙芝居の貸元に、手製の紙芝居を持ち込み始めた。そして昭和三十二年(一九五七年)に単身上京して貸本漫画を描き、翌年それを刊行して漫画家に転身。三十六歳だった。
以後、「河童の三平」「悪魔くん」「鬼太郎シリーズ」と、傑作を連発。大人向きの怪奇・風刺ものから子供向きの冒険ものまで、幅広い作風で読者を獲得し、国民的・国際的な大作家となる。
平成二十四年(二〇一二年)、「週刊文春」のインタビューで、「面白いことに気づくカンは生まれつきが八割」「学校でも算数は零点だったけど、そのカンのおかげか、みんなを笑わせるのは得意でしたね」「人は面白くないものは買わないから、お金がないぶん知恵を使って、面白いものを描くようにしましたな」と言っている。
その「カン」は、勉強についてゆけず、美術学校も続けられず、二等兵で片腕を失い、他のどんな仕事でも成功できなかった水木の視点からしか生まれなかったのではないだろうか。この世にいながら、普通の人の生活から少し外れた世界に片足を置いている視点だ。
それは「真面目に妖怪にとりくんでいると、妖怪の方でいろいろと気をつかってくれる」(『水木しげるの妖怪事典』)という、妖怪世界との親和性にも通じているのだろう。
『総員玉砕せよ!』の解説で足立倫行は、「生き地獄にも似た戦場での体験がなければ、墓場から蘇ってくる鬼太郎のようなキャラクターは生まれるわけがない。もっともらしい価値観をあざ笑い、徹頭徹尾自分のために生きようとするねずみ男も創造し得ない」「水木しげるは何よりも、不条理な玉砕を生き延びたマンガ家なのである」と書いている。だが水木しげるにとって、戦争だけでなく、人の世はいつの時代も不条理で、だからこそそこに不思議な笑いを見つけるカンもはたらいたのだろう。
平成二十七年五月まで連載を持ち、その年の十一月に九十三歳で亡くなった。妖怪たちは今も変わらず活躍し、愛され続けている。
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