本の話

読者と作家を結ぶリボンのようなウェブメディア

キーワードで探す 閉じる
「半藤さんは山本五十六を描ける最後の書き手です」

「半藤さんは山本五十六を描ける最後の書き手です」

文:山本 源太郎 (山本五十六元帥の孫)

『聯合艦隊司令長官 山本五十六』 (半藤一利 著)


ジャンル : #ノンフィクション

 太平洋戦争開戦から70年の節目にあたる今年12月。映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」が全国公開される(12月23日からロードショー/配給・東映)。映画の監修は、山本五十六贔屓を自認する半藤一利さんがつとめた。シナリオの段階から参画し、加えて原作本を新たに執筆。
「本の話」編集部では、山本五十六の直系の孫である山本源太郎氏にこの原作本をお読みいただき、感想を伺う機会を得た。源太郎氏は昭和36年(1961)生まれの50歳。お話の中から山本家にまつわる驚きの新事実も飛び出した!

映画を観る前に読まれたい

著者の半藤一利氏

――原作をお読みになっていかがでしたか。 

山本 映画は山本五十六の海軍次官時代の昭和11年(1936)からはじまります。国際情勢だけでなく国内情勢も非常に混み合って複雑であった状況を、半藤さんはとてもわかりやすく書かれています。海軍がしだいに米英に対して強硬になって、開戦へと歩を進めていく過程が、まことにしっかり描かれていました。海軍に対しても厳しい筆致は半藤さんならではですね。ご自身の記憶も交えて時代の空気が、ありありと伝わってきました。さすが、と舌を巻きました。

 あの時代についてあまり知識がおありでない方が映画を観るときに、テキストとしてちょうどいい。できれば、映画を観る前に読まれるのがいいかなと思いますね。

 いろいろな方が山本五十六についていまだに本を出されていて、そのたびに父のところに送られてくるんです。父は黙って読むだけで何も言いません。それら現代の書き手の方々のほとんどは、実際に祖父と一緒に働いていた方の生の声を聞かれたことはありません。

 ところが半藤さんは、生前の祖父と関わりのあった人たちのうち、祖父をよく言う人にも、そうじゃない方にもインタビューされている。しかも長岡の歴史や風土への深い理解もある。その両方をもっていないと、五十六という人を語るのはむずかしいのではないかと私は思っています。そういう意味では、書く資格のある方、と言うと不遜ですけれども、半藤さんは、五十六を描ける最後の書き手なのではないかなという気がいたしますね。

――映画のラッシュをごらんになったようですが、映画の感想はいかがですか。 

山本 祖父は身長160センチで、60キロといいますから、役所広司さんみたいに大きく立派ではなかったのでしょうけれども、役所さんが時おり祖父とそっくりに見えてくるんです。不思議でしたねえ。それだけ役に入っていらしたということなのでしょう。役所さんばかりでなく、あの聯合艦隊は皆さん、じつにかっこいい。参謀のひとり、吉田栄作さんの受けの芝居がいいんです。

――次官時代の五十六さんは、新聞記者からは信頼され人気もあり、赤坂霊南坂にあった次官官舎にはよく記者が訪ねてきていたようですね。

山本 残念ながら新聞記者の話を聞いたことはありませんが、祖母は陸軍が派遣した憲兵が怖かったと言っていました。三国同盟締結に反対した祖父の命を右翼の連中が狙っていたときに、護衛させるという建前で差し向けられたのですが、彼らのほうこそ不気味だったと。

 いっぽうまだ少年だった父にとっては、次官官舎は非常にいい思い出として残ったようです。敷地だけで2000坪。日本海軍へ教官として来日したイギリス人のために建てられた木造瓦葺きの西洋館で、官舎の庭には大きなユーカリの木があったんです。私の姉の「由香里」という名前は、その木にちなんでつけたというのですから、よほどいい思い出がつまった家だったのでしょう。日中戦争が始まって禁煙をしたという挿話が原作本にもでてきますが、タバコが本当に好きだったようで葉巻などもずいぶんたしなんでいたため、官舎にあった祖父の書斎に入っていくとプーンとタバコのいい香りがしたものだ、と聞いたことがあります。

最後の夕餉と、驚きの事実

――開戦日が決定し「ニイタカヤマノボレ一二〇八」の電令が発せられた昭和16年(1941)12月2日、五十六さんは久々に青山南町の自宅に帰ります。その晩、家族が囲んだ最後の夕餉(ゆうげ)の話を、お父さまから聞いたことはありますか。

山本 いや、直接は聞いていないのです。父が書いた『父・山本五十六』を読んではじめて知りました。

――最後の夕餉の食卓には鯛の尾頭付きがのったそうですね。いつもならお魚の身をほぐして子どもたちに分け与える五十六さんがこのときだけ鯛に箸をつけなかった。

山本 子どもの頃に初めて父の本を読んだとき、その意味がわかりませんでした。そこで父に、「食べなかった鯛はそのあとどうなったの?」と聞いたことを覚えています。父は「お手伝いさんにあげちゃったんじゃないかな」と答えたと記憶しています。大人になってやっとその意味がわかってきた。祖父は、戦争を始めるためにハワイに赴くことを、決して喜ぶべき門出ではない、と思っていたのでしょう。だからこそ鯛に箸をつけなかったのではないかと思い至りました。

――源太郎さんのおばあさま、五十六さんの妻である礼子さんの記憶は?

山本 祖母が亡くなったのは私が10歳のときでしたから、よく憶えています。非常に合理的で進歩的で、しっかり者でした。それに、とてもハイカラな女性でもありましたね。昭和3年(1928)に祖父がアメリカから帰国して(駐米大使館付武官から軽巡洋艦「五十鈴」艦長に転任)、鎌倉の材木座にはじめての自宅を建てるのですが、その家も、のちに暮すことになる青山の家も、祖母が自分1人で決めて建てたものです。これは祖母から聞いた話ですが、祖父は、元々は左利きなのですって。昔のことですから子どもの頃に矯正されたのでしょうけれども、左手で何でもできたと話していました。

 私の祖母の母親、五十六にとっての義理の母は山形の米沢出身です。私の名の「源太郎」は、祖父と懇意にしていた米沢出身の海軍大将、山下源太郎からとって父が名付けてくれました。山下家は親戚筋に当たり、現在も親族の方がたとは仲よくさせて頂いています。“米沢海軍”といわれたぐらい、海軍には米沢出身者がたくさんいたらしい。当時の教育者が海軍びいきで優秀な生徒たちを海軍に送り込んだと聞いています。じつは南雲忠一さんも米沢の母方の親戚なんです。

――ええーっ! 五十六さんもそのことは、ご存知だったんですよね。

山本 当然、知っていたと思います。

――それは衝撃の事実です。ミッドウェーで惨敗した南雲忠一司令長官は、草鹿龍之介参謀長を山本五十六のところに行かせて、「この仇をとらせてください。その一念で帰ってまいりました」と言わせています。で、山本さんは「良かろう」と言って、南雲をもう一回次の機動部隊に乗せる。このことを戦史研究家の多くが、このとき南雲をおろして誰かと入れ換えるべきだったと指摘しています。もしかしたら親戚だったために、情実での判断だったのか……。 

山本 ほんとうのところはわかりませんが、南雲が親戚であることが、判断にまったく影響しなかったとは言い切れない……かも知れませんね。

最後まで開戦に反対した理由

――開戦決定直後の海軍大臣の嶋田繁太郎への手紙に「申すも畏き事ながら、ただ残されたるは尊き聖断の一途のみと、恐懼する次第に御座候」と五十六さんは書きました。

山本 祖父は天皇陛下の最後の決断を願っていたと思います。そこには「なんとか止めてください」という、祈るような、すがるような気持ちがあったのではないかと思います。

――三国同盟締結後には、五十六さんは「もし戦争が始まったとしたら、東京は3度も4度もまる焼けになるよ」という予言を口にしていました。

山本 祖父はアメリカで、のべ4年半暮していますが、その間アメリカ人とどういう交流をしていたのか、じつはわからないのです。日本に帰国してからアメリカ人との手紙のやりとりがあっても不思議ではないのですが、それがまったくない。交流の痕跡がない。これは私の憶測ですけれども、おそらくアメリカ人の国民性のなかに好きになれない部分があったのではないか。たとえば凶暴性のようなものを見ていたのではないか。もちろん原爆を落とすとまでは考えてないでしょうけれども、アメリカと喧嘩をしたらひどいことになるという危機感をたしかにもっていたはずです。大変なことになるという鮮やかなイメージをもっていたのではないかと思うのです。

 最後まで開戦に反対し続けたことが、原作本では余すところなく描かれていましたね。「その衝(しょう)にない者、発言すべからず」の海軍にあって、自分の立場を逸脱せぬように、けれども戦争を避けるための努力、中央に対する働きかけを、こんなにも一生懸命していたのかと改めて知ることになりました。

――五十六さんについて、初めて知ったことはありますか。

山本 ハッと思ったのは、昭和18年(1943)4月18日の前線視察の目的です。ご存知のとおり、このときアメリカ空軍P38の待ち伏せを受けて命を散らすわけですが、「五十六は最後の別れを言いにいった」と書かれていて、ああ、なるほど、と思いました。ガダルカナルを奪われて、一挙に戦線を引き下げることを五十六は決意しますね。反撃の態勢を整えるにはソロモン諸島に展開している第一線基地の将兵たちを捨て石にして、残して見殺しにせざるを得ない。それを決意して別れの挨拶に行ったという半藤さんの解釈は、ストンと腑に落ちました。自殺説を説く人もありまして、それはどうかなと私は怪しんでいたのですが、惜別の前線訪問という半藤さんの解釈は、五十六が信頼した渡辺安次中佐から聞いた話をベースにしておられますから充分納得がいきました。

 そうそう、初めて気づかされたことをもうひとつ。「薩長が始めた戦争を、いわゆる賊軍が辛うじて終結させた」という指摘です。これも、「なるほど言われてみればそのとおりだ」という感じでした。本の冒頭に半藤さんご自身が幼い頃おばあさんから聞いた話、「新政府は泥棒じゃて。無理やり戦さをしかけおって……」というお話が出てきます。おじいさんは“官軍”などとは金輪際言わなかったとも書いておられる。

 戊辰戦争を知らずして、祖父・山本五十六のこと、そして祖父の生きた時代をわかったことにはならないと思いました。この本も映画も、昭和史をより深く理解するためのきっかけになればいいなと思いますね。

文春文庫
聯合艦隊司令長官
山本五十六
半藤一利

定価:682円(税込)発売日:2014年05月09日

単行本
聯合艦隊司令長官 山本五十六
半藤一利

定価:1,540円(税込)発売日:2011年11月09日

ページの先頭へ戻る