日めくり立ち読み『感受体のおどり』

第4番

文: 黒田 夏子 (作家)

登場人物紹介

 外は小雪になっていて,暗くなると道もすべるしあぶないと月白(つきしろ)が言った.見ているのはかまわないがとつけくわえた.追いたてるかんじになるまいと気をつかったのは,一つにはほかの者のけいこを見るよう日ごろすすめていたからであり,もう一つには,毬犬(まりーぬ),針犬(はりーぬ),嵐犬(あらしーぬ)と,おないどしのなかまがつぎつぎとやめて,おとなと幼児とのあいだでなんとなくはぐれてしまった私をなおはぐれさせてはとかんがえたからであろう.熟先(うれさき),渡先(わたりさき),曇先(くもりさき)の三にんとは四十かげつほどのちがいなのだが,背たけの伸びおえないうちの四十かげつは遠くて,むこうからはつとめて話しかけてくれてもはかばかしいこたえもしないで過ぎた.行くときまった日だから行き,すむとすぐ帰った.月白(つきしろ)のほうでも暮れないうちに帰してしまえばめんどうがないので,おとなたち,熟先(うれさき)たち,おとなにつきそわれた幼児たちより,私のじゅんを早めてしまうことがしばしばあった.私はまだ月白(つきしろ)にも踊りにも囚われていなかった.あるいは囚われているとは知らなかった.

 冬至ちかいそのゆうべ,わなが私を吸いよせていた.いつもなら私のいないはずの時空で,月白(つきしろ)が踊ったりわらったりしていた.私のいない時空での月白(つきしろ)というものにはじめて気をひかれて,おわるまで見ていた.熟先(うれさき)たちはずっとそうしてきたのだった.がっこうがえりにまわるともう日はかたむいているから,けいこ場でのじかんはひきのばせるだけひきのばしても大して長くはなかった.

 見ているあいだだけ,行きあわせているあいだだけ,知りびとが知りびとであった日日,それぞれにそれぞれのくらしがめぐっているのはわかっていても知りたいとかんがえたことはついぞなく,たとえば遠くへのひっこしというような小児にとって死とえらぶところのない不在になつかしいという情緒はうごいても,それは去ることによって内がわへ移ってきたものへの,つまりはじぶんへの惜しみのようで,去った者の今をおもうのとはちがった.身のまわりに見えがくれする者たちのすべてを,雲のように花のように送り迎えていた日日,そう受けとめていれば,私は私の無力に気づかないでいられたのだった.

 ならわしをやぶっていのこったことは,なんということもないなりゆきのようでもあったが,小雪のつめたい闇の道で,気づくまいとしてきたことに気づいた.もしさらに月白(つきしろ)を見ている時間をひきのばしたいとねがってもそれは私の意志でかなうことではなく,月白(つきしろ)のがわの意志にかかわるのであり,私には月白(つきしろ)の意志をうごかすどんなわずかな力もありはしないと.それはだれにとってもひとしなみの無力なのではなく,ごまかしようもない私の無力だと.

 私の無力ゆえに私に閉ざされている多量の月白(つきしろ)があった.すでに月白(つきしろ)にたった一万の日,これから月白(つきしろ)にたつ一万の日に,刻刻とつもりつづけるものの,そのひとひらを読み解くにさえさかのぼりほりひろげなければならない視野は,けっきょくのところ全世界だった.こうして世界はにわかに知る値うちのあるものと変わった.わなだった.恋の.

感受体のおどり
黒田夏子・著

定価:1,850円+税 発売日:2013年12月14日

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