一方の“ないもの”、たとえば対外的な雄弁力や発信の仕方などについても、「文藝春秋特別版」や「文藝春秋SPECIAL」で何回か書かせて頂いた。年代順に列挙すると「異文化とのつき合い方と依存」(「昭和と私」二〇〇五年八月号)、「偏差値エリートでなく、闘うエリートを育てよ」(「教育の力を取り戻す」二〇〇六年十一月号)、「毎朝、仏壇で唱える言葉」(「心の時代を生きる」二〇〇七年季刊夏号)、「日本人よ、説明説得の術を身につけなさい」(「日本人へ」二〇〇八年季刊夏号)などであった。
やがてI氏は第二出版局に異動になり、この度は単行本を書くようにすすめて下さった。
こうして生まれたのが本書であり、以上がそこに到るまでの背景である。
実際に書き出してみると、このテーマでも、言いたいことは沢山あった。それは、日本の世界に向けての発信力があまりにも弱いからである。私には十数年住んだ欧米のことしかよくはわからないが、個人的にも周囲の同胞の対応の仕方を見て、(あ)と想うことが多かった。
本書の中で、“パーセプション・ギャップ”を一つのキイワードとして用いた。相互の誤解の多くが、そこから発しているからである。ある物事なり事件なりに対し、こちら側はAと認識したとする。あちら側は、Bと認識している。AとBが違うと互いに理解できればよい。だが、多くの場合、こちらは(あちらもAと考えている)と決めつけてしまう。あちら側は、こちらもBと理解していると考える。この認識差が多くの誤解を生むことになる。そして“誤解の存在”にすら気づかない。
誰かが「こちら側はAと考え、あなたたちはBと考えているのですよ。AとBの差は大きい。さあ、どうしましょう」と声を上げなければならない。個人から国同士のレベルに上げたとしても、同じことである。
尖閣諸島の問題にしても、「東シナ海に領土問題は存在しない」と国内で主張するだけでは足りない。その理由をはっきりと、海外のメディアなどへ英語で発信する。「理由」とは、事件の証拠の速やかな公開、そして日本の領土であることの歴史的経緯をふまえての説明である。
そして、自分の主張を繰返すこと。日本人の多くは「一度きちんと言えば、それで充分」と考えがちである。しかし、本書の中のもう一つのキイワード「大陸の民」と「島国の民」はあまりにも違う。大陸と対峙するには、あちらのやり方を見習うべきである。
私たちは、自己の感じ方、考え方の傾向を知らなければならない。そして他の文化圏の人々の感じ方、考え方の傾向を知らなければならない。自己と相手をともに知る必要がある。
その上に立って、相手が理解可能な論理を用い、雄弁力、発信力を身につけることだ。言葉で説得し、自己主張し、たたかい、そして、よき友人達を作るために、である。
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『赤毛のアン論』松本侑子・著
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