昭和四十年代後半の小学生は二種類に分かれていた。土曜の夜に、「8時だヨ!全員集合」を見ていい家の子と、親が許さない家の子だ。
きわどいギャグ、食べ物を投げる、金盥が降ってきたり、家が崩壊したりするなどの乱暴な舞台。視聴率五○%前後という数字と、「親や教師が子供に見せたくない番組」一位を同時に獲得した番組だった。それでも「ちょっとだけよ」「どーもスンズレイしました」「ジスイズアペン」「カラスの勝手でしょ」を知らない子供はいなかったのではないだろうか。
いかりやは常に、不出来で服従しないメンバーたちを叱り、統率・抑圧する独裁者の役割で、怒っている顔ばかりが記憶にある。
昭和六年(一九三一年)生まれ。バンドのベーシストとして各地を巡業するところからはじめ、「ザ・ドリフターズ」のリーダーとなる。米軍キャンプでジョークが盛りこまれたショーを知り、ギャグと笑いを売りにした芸風を作り、クレージーキャッツの後釜としてテレビでも活躍しはじめた。
「8時だヨ!全員集合」が始まったのは昭和四十四年。競合するのは「コント55号の世界は笑う」「巨泉×前武ゲバゲバ90分!」。テレビのバラエティ番組も高度成長した時代だ。そして十六年間の活躍の後、昭和六十年に幕を下ろす。時代は「オレたちひょうきん族」のものになっていた。
その後は俳優として大河ドラマ「独眼竜政宗」、火曜サスペンス「取調室」などに出演し、平成九年(一九九七年)の「踊る大捜査線」の和久平八郎役で人気を博す。織田裕二演じる青島巡査部長を指導する、たたき上げのノン・キャリア、渋い苦労人という役で、「全員集合!」とはうって変わったキャラクターである。
写真は平成十一年に「踊る大捜査線」の映画版で日本アカデミー賞助演男優賞を受賞した折の対談時のもの。ヒゲをはやしているのは、テレビドラマ「蘇える金狼」で、乗っ取りで一大企業を築いた老悪役を演じるためだという。
謙虚な語り口で、ミュージシャンでもコメディアンでもなく、俳優でもない、一介のテレビタレントとして「どこにも属さないでポワーンと浮いて」きたのがよかったのではないかとも言っている。「ドリフターズ」=「漂流物」の名前通り、時代の流れに素直に沿って、いい感じに老熟した笑顔だ。平成十六年、惜しまれつつ世を去る。七十二歳だった。
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