物書きたちの大かたとはちがう階層から来たというじじつには走井(はしりー)はじゅうぶん意識的だったので,のっけからはじき出されるのをさけるため,出自のかげのささないような書きかたを作りあげた.まったく新しい独自の手ざわりでありながら,つまり私のともとうぜんまったくことなりながら,私がその書き手をなかまとかんじて近づいたことが,その意図の有効を証する一れいとなろう.しかしそのためにまわりの誤解は深く,走井(はしりー)の孤立は二重であった.
ふつうには走井(はしりー)のような階層から来た者たちは手法において既成をまね,素材において目あたらしいものをさらすことで存在理由をもち,組みいれられることに成功するが,走井(はしりー)はぎゃくで,様式の創出という,おなじあたりからはじめても孤立する稀少事をとげるかたちでうらがえしの類似にいたったのである.
なかまとおもうについては,この書き手も,作品を成すためにはほかのすべてをあきらめたのだとの共感があった.個体の欲求に反してでも,作品が成るための苛烈な戦場となることをひきうけるほかなかったのだとの共感があった.実状が似ていないわけではなかろう.ただ走井(はしりー)はそんなつもりではじめたのではなく,ましてそのありかたに酔うことはなかった.