インタビューほか

「走る」ことを軸にした僕の個人史(メモワール)

五十嵐 文生 (朝日新聞社ジャーナリスト学校主任研究員)

『走ることについて語るときに僕の語ること』 (村上春樹 著)

――よく散歩しながらものを深く考えるようなことがいわれますが、村上さんが走るときは何を考えているんですか。

 歩くのは考えるのにいいペースなんですよ。だけどランニングは考えるリズムじゃない。考えてもどうしても思考が断片的になる。それよりも景色を見るのにいいですよ。旅行で外国に行ってもよく街を走ります。歩くと時間がかかりすぎるし、クルマだと速すぎる、走っているとちょうどいい感じで風景が流れていきます。そういう風にして街を眺めるのが好きです。

 フィンランドのヘルシンキに九月に行ったとき、まだそれほど寒い時期ではなかったので朝ランニングしました。ただ、知らない街は恐いんですよ。道に迷っちゃう。そのときも迷ってしまって人に道を聞きながら走ってるうちに、だんだんしんしんと冷えてきて、何とかホテルにたどり着いたときには体が凍りつきそうだった。

 アテネやローマでは野犬が恐かったですね。街を走っていると、吠(ほ)えて追いかけてくる。そんなときは向かって行って吠え返すんです。だいたい逃げていきます。もちろん相手は選びます。強そうなやつにはそんなことはやらない。何によらず相手を見ることは大事です。

 走るとき、何を考えてるか? ほとんど何にも考えてないな。小説を書くときにはいろんなことを集中して考えているでしょ。だから考えない時間って必要なんです。なるべく頭を空にするようにしています。走っているとだんだん筋肉がほぐれてきて、もちろん身体は疲れるんだけど、神経がリラックスしてくる。このへんが面白いですね。メディテーションに近いかな。

――心を切り替える手段ですね。ところで、これまで村上さんはどれくらいの距離を走ってきたかご存知ですか。

 少なめに見て月250キロだから――。

――二十五年で7万5000キロ、地球をほどなく二周の距離です。よくそれだけ走ってこられましたね。

 僕はこれまで問題が起きて走れなかったという時期がないんですよ。風邪なんかは別ですけど、一度もケガをしたことがなかった。丈夫で我慢強い、というのが僕の持ち味のひとつですね。足腰が才能を凌駕しているというか。しかしそんなに走ったんだ。

――レースにでるのに調整は必要ですか。

 フル・マラソンを走るには、三カ月、四カ月前からスケジュールを組んで練習するのが理想的です。だからフル・マラソンは年に一回というのが普通ですね。二回走ることもありますけど、だいたいは一回。あとは短い距離を走ったり、トライアスロンにでたり。

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走ることについて語るときに僕の語ること
村上春樹・著

定価:本体520円+税 発売日:2010年06月10日

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