- 2007.10.20
- インタビュー・対談
「走る」ことを軸にした僕の個人史(メモワール)
五十嵐 文生 (朝日新聞社ジャーナリスト学校主任研究員)
『走ることについて語るときに僕の語ること』 (村上春樹 著)
――今日も走ってこられたんですか。
さっきプールに行って1600メートル、泳いできました。今日みたいに暑くて湿気の多い日に走ると消耗が激しいんです(九月十九日)。特に都会では厳しいですね。郊外にある自宅にいるときは少々暑くても走ります。都心と違って朝夕は気持ちいいから。週に四日ぐらい走ってあとは泳いでますね。
――以前、「村上朝日堂」のホームページで村上さんがインタビューに答えて、「朝17キロ走りました。昼1500メートル泳いで夕方また13キロ走りました。今日はちょっと特別です」と書かれてるんですが。
それは本当に特別です。毎日そんなにやってたらもちませんよ。時間もないし。いまはだいたい一日に五十分から一時間、距離にすると8キロから10キロです。
――走り始めて二十五年になりますが、こんなに長く続けられると思っていましたか。
二十五年先みたいなことまでは考えてなかったですね。ただ、好きなことなので自分の性格からいって、けっこう長くつづけていくだろうなとは思ってました。小説を書き始めたのと同じで、走るのもわりにすんなり自然体で始めましたから。性格にあわないことって長くは続けられませんよね。
学校の体育で笛の合図で何かやらされるみたいなのは嫌いだったけど、走るのは苦にならなかった。高校は神戸だったんですが、学校の行事に六甲山の尾根を10キロほど走るというのがあって、これがなぜか男子だけで女子は沿道からの応援、ほかの男子が通ると「頑張って」っていうのに、僕のときはなぜか「村上君、無理しないで」と声がかかる。別に無理してなかったんだけど(笑)。まあ、スポーツ少年というイメージじゃなかったから。
――なぜマラソンなのでしょうか。
日常的に走り始めたのは、『羊をめぐる冒険』を書き終えた直後くらいです。専業小説家としてやっていくことを決心した、三十三歳のときでした。デスクワークですから、身体を鍛えなくちゃと思って始めました。体重管理のこともあったし。
走るのを選んだのは、スポーツの選択肢としてほかになかったということもあります。千葉の習志野に住んでいたんですが、今は知らないけど当時はとにかく田舎で、気のきいたジムなんてどこにもない。だけど道路だけはありました。それから近くに大学のグラウンドがあって、朝早く400メートル・トラックを走らせてもらったり。