2013.06.17 文春写真館

「演技の鬼」の背景にあった壮絶な生い立ち
三國連太郎

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

「演技の鬼」の背景にあった壮絶な生い立ち<br />三國連太郎

 昭和二十五年(一九五〇年)、銀座で職を探して歩いていた復員兵の長身の青年が、松竹のプロデューサーの目にとまり、主演俳優がパージされ出演できなくなった「善魔」(木下恵介監督)の主役にいきなり抜擢される。役の名「三國連太郎」が、そのまま彼の芸名となった。

 大正十二年(一九二三年)生まれ。生い立ちは波乱万丈。静岡県の伊豆で育つが、複雑な家族になじめず、旧制中学時代に密航で大陸に渡り、転々と職を変え、徴兵を拒否し逃亡、捕まって戦地に送られ、熱病で死に瀕し、敗戦後は収容所で過ごし、帰国後も転職と結婚、離婚を繰り返す。その心の底は、余人には到底うかがい知れない。

 俳優となってからは、つねに鬼気迫る「役者馬鹿」ぶりを見せる。やりたい役があれば簡単に映画会社を転々とし、「五社協定違反者第一号」と白眼視されても意に介さない。役作りのために前歯を全部抜いた、暴行シーンを本気で演じて共演女優を怯えさせた、といったエピソードは数知れない(写真は昭和三十二年=一九五七年、三十四歳のとき)。

「ビルマの竪琴」「飢餓海峡」「はだしのゲン」「ひかりごけ」といった社会派作品、「未完の対局」「三たびの海峡」「大河の一滴」など大陸との交流を描く作品での演技は、前半生の体験を抜きには語れない。昭和六十一年に製作・監督した「親鸞 白い道」はカンヌで審査員特別賞を受賞しているが、この作品をきっかけに、宗教的境地に至る。 硬派な俳優として知られたため、「釣りバカ日誌」の温厚でコミカルな社長役は、当初は不本意だったようだが、シリーズが二十年以上続いたことで、もっとも愛着ある役となった。

 平成二十五年(二〇一三年)四月十四日、九十歳で没する。

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