2014.11.25 文春写真館

時代の要求を先取りして人を魅了し続けた赤瀬川原平

文・写真: 「文藝春秋」写真資料部

時代の要求を先取りして人を魅了し続けた赤瀬川原平

「そうだよ。寂しいね。自由のほかには何もない。金も、物も、力もなくて、あるのはただの自由だけ」

 昭和五十五年(一九八〇年)、尾辻克彦の名前で書いた芥川賞受賞作『父が消えた』の一節だ。昭和十二年横浜市生まれ。六人兄弟姉妹の下から二番目で、敗戦後の貧しい境遇の中を、父の転勤により様々な土地で育つ。小さいときから絵が好きで、武蔵野美術学校に進むが中退。

 五〇年代末から六〇年代にかけて、ネオ・ダダイズムに傾倒し、ゴミや廃物を使って工業化社会を表現したり、奇抜な行動で社会を刺激したりする活動に多数参加。中でもハイレッド・センターは今も伝説的だ。昭和四〇年、「千円札の画像を印刷した紙」を使った一連の作品で「通貨及証券模造取締法違反」に問われて起訴され、裁判で「懲役三年、執行猶予一年、原銅版没収」の判決を受けた。

 昭和四十五年から「朝日ジャーナル」に連載された「櫻画報」は、強烈な画風と風刺で一世を風靡したが、あまりの刺激の強さに翌年には打ち切られる。最終回の「アカイ アカイ アサヒ アサヒ」は、朝日新聞社内で問題となり、自主回収と休刊という大騒動を引き起こした。昭和四十七年には、どこにも通じていない階段を路上で発見し、無意味で役に立たない面白さを「超芸術トマソン」と名づけて提唱し、「路上観察学会」を創設し、流行させる。

 八〇年以降は執筆で活躍し、映画『利休』(平成元年・勅使河原宏監督)の脚本をはじめ、『新解さんの謎』(文藝春秋)や『老人力』(筑摩書房)などで人々の心をつかみ、他にエッセイ・美術の解説など多くの著作を残した。

 その視線は終始一貫して、「日常の事物を、別な見方でとらえなおすことで、全く新しい考え方を発見し、思考世界の広がりを楽しむ」というものだったが、若い時代の過激で貧乏で意地悪だった面白さが、次第に穏やかで明るく、古典教養までも包容する面白さになってゆき、時代の要求を常に先取りして人を魅了し続けた。

 平成二十六年(二〇一四年)十月二十六日の訃報に際しては、「仙人先生」のような飄々たる風貌と、穏やかな人柄が偲ばれた。写真は平成五年、仕事場で、愛用のライカに囲まれての一枚。

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