短篇はSの歓び、長篇はMの歓び
──短篇を書く楽しみは、長篇とどう違いますか。
山田 短篇小説は、書き始めの数行で結末の一行がもう分かって、最初の一行から最後の一行までがずうっとつながっている感覚なんです。だから書いているあいだ、小説を自分の支配下においているという歓びがある。長篇は、どっちの方角に行くか分からない時があって、こっちが物語に付き合わされて翻弄されている感じ。逆に短篇は、こっちが翻弄している感じです。だから短篇を書くのって、Sの歓びかもしれない。長篇はMの歓び。私は、どっちの欲望も満たしたい。フェティシズムをテーマにして傑作をものされた河野多惠子さんには、違う、って言われてしまうかもしれないけど、私は、優れたSは優れたMでもあると思うので。
──短篇を書かれる時は、何が最初に浮かびますか。
山田 これは本当にうまく説明できないんですが、たとえば道を歩いていたり、友達と話していたり、ただボーッとしたりしている時に、「多分ここに目を付けているのは私だけだろうな」という発見があって、「やった!」と思う。そこからドラマを作りたい欲望が湧いてくるんです。「私だったら、ここから出発して自分だけの言葉で一つの物語にしてみせる」という、秘かな優越感。その時には誰にも何も言わないんだけど。
──粗筋みたいなものが湧いてくるんですか。
山田 粗筋じゃなくて、言葉とか、何かストーリーの核になるもの。たとえば、世の中に石ころがいっぱい転がっているとして、「目を留めて!」と私だけに呼びかける石がその中に一個ある。それを見つけた時、私が「選んでやった!」と思うのと同時に、向こうも「選ばれてやった!」という感覚。これは忘れないでおこう、って思う。そういうのをいっぱい貯めておくんです。
-
『赤毛のアン論』松本侑子・著
ただいまこちらの本をプレゼントしております。奮ってご応募ください。
応募期間 2024/11/20~2024/11/28 賞品 『赤毛のアン論』松本侑子・著 5名様 ※プレゼントの応募には、本の話メールマガジンの登録が必要です。