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チャタレイ裁判で世間の注目を浴びた伊藤整

チャタレイ裁判で世間の注目を浴びた伊藤整

文・写真:「文藝春秋」写真資料部

 伊藤整(いとう・せい)は明治三十八年(一九〇五年)北海道に生まれる。本名は「ひとし」。旧制小樽中学から小樽高等商業に進む。上級生には小林多喜二がいた。卒業後、英語教師として小樽中学に赴任するが、退職し上京。東京商科大学に入学、フランス文学を学ぶ。当時、下宿屋で梶井基次郎、三好達治、瀬沼茂樹らと親交を結んだ。その後、出版社勤務、教師をつとめながら、小説、翻訳、評論などの執筆に励んだ。

 昭和二十五年(一九五〇年)、D・H・ロレンス著『チャタレイ夫人の恋人』の翻訳がわいせつ文書にあたるとして、発行者とともに、伊藤整も起訴された。裁判では、芸術性が高いとされる文学作品のわいせつ性を問うことの是非と翻訳者の役割が論議され、表現の自由をめぐる裁判として、世間の注目を集めた。昭和三十二年、最高裁は発行者と翻訳者ともに有罪としたが、伊藤が書いた『裁判』は、当事者の立場から問題提起した貴重なノンフィクションである。

 昭和二十八年、「婦人公論」に戯文エッセイを連載し、翌年『女性に関する十二章』として一冊にまとめたところ、大ベストセラーとなり、「○○に関する十二章」というタイトルの本が次々に出版されるなど、ブームを巻き起こした。評論『文学と人間』、小説『火の鳥』もベストセラーとなった。写真は、「別册文藝春秋」昭和三十二年十月号グラビア「小説つくりの部屋」掲載。

 昭和四十四年没。ライフワークともいうべき「日本文壇史」は、瀬沼茂樹に引き継がれ、昭和五十一年に完成した。

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