時代小説の名手だが、ここ二年の三作は現代小説が続いている。最新の短編集『太陽は気を失う』では、生きることの苦さを知り、残りの時間を意識しはじめた、中高年の男女が描かれている。
「人間を書くという意味では時代小説も現代小説も変わらないけど、自分が生きている時代を書いてみたいと五十代の終わりに思うようになったんです。境界を超えて新しい分野で仕事をするなら気力のあるうちにと思い、六十歳をめどに挑戦することを決めました」
時代小説と比べて書きやすさ、書きにくさというのはあるのだろうか。
「時代小説ほどは考証に時間をとられません。もちろん戦争や震災など、自分が知らないことは全部調べますけど。会話の制約もありませんが、自由に書けるからこそ、できるだけきちんとした、いい言葉を使いたいなと思っています。あと、電話を使えるのがすごく便利です(笑)。時代小説だと、遠くの人と手紙のやりとりするだけでひと月ふた月、かかってしまうので」
借金を申し込むために福島の実家に戻って震災に遭遇する女性を描いた表題作をはじめ、登場するのが市井に生きるふつうの人というのは時代小説の時と変わらない。浮子(うき)や木釘をつくる職人が登場するのも乙川さんらしいと思える。
「ヒーローにはあまり興味が持てません。もし私がヒーローを書いたら、ダメ人間として書いてしまって小説にならないかもしれない。逆に、地元の人との雑談で、目立たないけどいい仕事をしている人の話を聞いたりすると、どこかで書いてみたいなと思うんです」
「単なる人生の素人」「悲しみがたくさん」など胸に残るタイトルには、作家になる前、翻訳の仕事をしていた影響があるのではと思ったが、「それはありません」と乙川さんは言う。
「時代小説を書くようになって、英語はまったくできなくなりました(笑)。それに私は英語の本のタイトルがあまり面白いと思えなくて。日本語のほうが言葉のニュアンスの幅を利用して面白いタイトルにできるんじゃないでしょうか」
思い通りにならないことがあると知ってこそ、喜びや幸福はより輝く。大人のための、と言いたくなる短編集である。
「悲しみ、苦しみのないものを書こうとは思わないですね。苦しみのすえのハッピーエンドならいいけど、楽しむためだけのお話は書きたくない。だからどの小説も、苦しみから考えてしまいます」