片山 本書は、岸富美子さんという映画編集者の一代記です。編集とは、フィルムを切り貼りして、画面をつないで、映画に意味とリズムをもたらす重要な仕事ですね。15歳で映画業界に進んだ岸さんは、1939年に満洲に渡り、満洲映画協会(満映)という国策映画会社で働きはじめます。そして終戦後も53年まで中国に残り、戦後中国映画の出発に大きく貢献しました。本書は岸さんの手記を基として、ノンフィクション作家の石井妙子氏が岸さんにインタビューを取り直し、「解説」も加えて丁寧にまとめられています。
戦時期の映画で国際色が豊かというと、『新しき土』(1937年)と『私の鶯』(1942年)を挙げたくなるんですが。前者は、ドイツからアーノルド・ファンク監督を招いて原節子の出た、ドイツ語の飛びかう特撮パニック映画。後者は、ハルビンが舞台で李香蘭が出た、ロシア語の飛びかうオペラ映画。岸さんはなんと両方のスタッフなんですね。さらに戦後中国映画でしょう。映画史の驚くべき生き証人ですね。
甘粕正彦とファーブル昆虫記
山内 私はこのタイトルから、「甘粕事件」で知られた甘粕正彦(満映理事長)と李香蘭こと山口淑子を思い浮かべましたが、2人に関する非常に興味深い記述がありました。岸さんは、新京(長春)のヤマトホテルに泊まることができた満映関係者は甘粕と李香蘭だけだったと言っている。そして、李香蘭は「非常に華やかで妖艶な女性だった」と、思わせぶりな表現をしているのです。岸さんは、いまの芸能ニュースと違って(笑)、そこから先にはあえて立ち入らない。映画人としての矜持みたいなものを感じましたね。
福岡 私にとって甘粕は憎き敵役みたいなものでした。というのも、昆虫が大好きな虫オタク少年だった私の愛読書『ファーブル昆虫記』の翻訳者である大杉栄を殺害した張本人だからです(笑)。
実はファーブルは、“反骨の革命者”で、主流だったダーウィニズムに反旗を翻し、「私は死を詮索するのではなく、生を探求している」と言って『昆虫記』を書きました。アナキストの大杉はそれに共鳴して翻訳したのです。その大杉の命を憲兵隊員の甘粕は非情にも奪った。ところが、本書に描かれている甘粕は、こうしたイメージとは少し違う側面があって驚きました。人心掌握術に長け、満映社員をうまく宥和する会社の仕組みを作ったというのです。
山内 岸さんは甘粕が理事長になって以降の満映の変貌をポジティブに捉えていますね。確かに、甘粕は勤務態度や金銭にだらしない社員の管理を怠らず、働かない理事は解雇してしまう。また、女子社員会を作って茶道や生花など、当時は中流階級以上しかできなかった教養を身に付けさせる。甘粕は、現代的な経営を先取りしていたということなのかもしれません。
福岡 その一方で甘粕は満映を隠れ蓑にして暗躍もしていたはずですよね。岸さんはそういう側面は見ていなかったのでしょうが。
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