壮絶な「精簡」の描写
山内 甘粕について、岸さんは母親に「人殺しだよ」と言われたと語っています。そのため、岸さんは満映の廊下で甘粕とすれ違った時、引き返すことも、曲がる事もできず、胸の鼓動が高まり、「すれ違いざまに斬られるんじゃないか。刺されるんじゃないか」と思ったと(笑)。実に乙女っぽいナイーブなところがある。
福岡 岸さんが穿った見方をせず、当時の世界を純粋に見ているところがこの本の魅力ですね。
片山 それから本書の白眉は終戦後の記述です。中国共産党に留め置かれて帰国できない。残留映画人の中でも共産主義者が権力を握る。思想改造のための「学習会」が行われ、日本人も人によっては文化大革命の「下放」を思わせる「精簡」の対象にされます。岸さん一家も選ばれて、極寒期に氷結した河の氷を割るという不条理な肉体労働を強いられます。すぐまた凍るのに。カフカもびっくりですよ。「精簡」の実体を知る人がほとんど亡くなっている中、岸さんの証言は貴重です。
福岡 岸さんは「精簡」について、「人選の基準がまったくわからなかった」と書いていますが、対象者に内田吐夢監督と木村荘十二監督も含まれていたのは驚きでした。また、「精簡」の首謀者は2名の日本人だとして、「その名をここに記すつもりはない」と書いています。でも多分、本書に出てくる誰かなんでしょうね。
悲劇は帰国後も続いて、戦後中国に残らされて50年代に帰国した岸さんたちが「アカ」というレッテルを貼られ、日本映画界に受け入れられなかったとあります。
片山 映画に限らず、日本人のいろいろな分野の技術者が、共産国家の建設に役立つということで、長期間、残されました。やっと帰国すると日本では洗脳されてきたのではないかと警戒される。悲劇ですね。
山内 当時の中国は、まだ字が読めない人間が大半でしたので、共産党のプロパガンダの手段として、映画は芝居と並んで大変有効だった。岸さんや内田吐夢監督が中国人を相手に映画作りの講師をしている場面が描かれていましたが、フィルムを巻く、現像する等の「映画製作の技術」を有する中国人を一刻も早く養成する必要があったのでしょう。
片山 中国映画史では、日本人スタッフの功績は闇に葬られていましたが、ある時点から公的に再評価されるようになりました。81年、岸さんは正式に招請されて訪中していますし、05年に建立された「中国電影博物館」には、日本人スタッフを讃えるコーナーが設けられたそうです。こういう歴史の中に友好と対話のチャンネルがあるのですね。
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