太平洋戦争を“直接証言”をもとにしてノンフィクション作品として描き出せる限界が近づいている。
兵士として戦場に赴いた人たちが九十歳以上の老齢となっているからだ。およそ二百三十万人が戦死したあの悲劇が「歴史の中の出来事」になろうとしている。
そんな時間の壁に抗(あらが)うように貴重な証言と事実を集めようとしているジャーナリストの一人が著者である。
今回、著者が選んだのが、戦場に散った七人の野球人だ。新富卯三郎、景浦將(まさる)、沢村栄治、吉原正喜(まさき)、嶋清一、林安夫、石丸進一は、いずれも球史に名を留める男たちだ。妻子を残した者もいれば、子孫を残すことなく戦死した者もいる。彼らの殆どは一片の遺骨も還っていない。著者はその悲劇を冷静な事実の積み上げだけで描いていく。
今も巨人軍最強の捕手と言われる“ヨシやん”こと吉原正喜は、ビルマで戦死した。明るく誰からも好かれ、豪快な吉原がマラリアに倒れ、痩せ細った姿を見た者がいる。だが、僅か二十五歳で逝った彼がどこで、どのような最期を迎えたのかは今も謎のままだ。
著者は、吉原の聯隊の全戦没者名簿に、吉原の名が出ていないことを知る。その名簿には、吉原より五か月前に戦死した弟の名前は出ていた。兄弟が揃ってビルマの土となったことを知った時、母親はその現実をどう受け止めたのだろうか。
熊本工業でバッテリーを組んだ川上哲治と共に吉原が足腰を鍛えに鍛えた「胸突雁木(むなつきがんぎ)」という坂は、今も当時のままである。片や栄光の巨人軍で選手、監督として名を馳せた川上と、ビルマから遂に還らなかった吉原。その川上は終生、「今の自分があるのは吉原のおかげ」と語り続けた。
死者の無念を語り継ぐことは生き残った者の使命でもある。〈時代の不条理とは常に単層構造では存し得ず、その実相を描くには百万言あっても足りない〉。本書に著者が記すこの言葉を、七人の名選手たちの面影を偲びながら噛みしめたい。