生命力が漲っている。衰えた心を賦活する小説だ。
村山由佳『ありふれた愛じゃない』は、恋愛小説の名手が南洋の国、タヒチのボラボラ島を舞台として描いた作品である。宝飾店に勤める藤沢真奈は、台頭してきた部下に敵意を剥き出しにする上司の渡辺広美に悩まされつつも、歳下の恋人である大野貴史と愛を育み、幸せな日々を送っていた。ある日、真奈は社長の高橋から出張に同行するよう命じられる。行く先はタヒチ、黒真珠の名産地として知られる場所である。初めてのことに不安を覚えながらもかの地を訪れた彼女の前に意外な人物が現れる。元恋人の、朝倉竜介だ。〈どこか南の島で、ヤシの実でも採って適当に暮らせたらいいのに〉が口癖で、会社員生活になじめずに姿を消してしまった男は、ボラボラ島に溶け込んで暮らしていた。意外な出会いが真奈の心を激しく動揺させる。
英語のloveはタヒチ語ではhereだという。そして日本には〈愛〉の他に〈恋〉という言葉がある。感情が激しく燃え盛るさま、理性から解放された心が対象を強く求める状態を、そうやって区別しているのだ。真奈の心がすべてのしがらみを振り捨てて〈恋〉に向かっていくまでを村山は緻密な構成で描いていく。ふとしたきっかけで励起が起きてしまうと、欠片となって舞い上がった感情たちは決して元の場所には戻らなくなる。そのために起きてしまうすれ違いやいさかいの寸劇によって構成されている中盤の展開がまず見事だ。男性優位社会の中で「行儀よく」振る舞うことを求められる女性は常に自分を装って生きていかなければいけない、という事実を示す挿話を織り交ぜることで、作者は物語を補強していく。
真奈の立っている場所は本当に彼女が望んだものなのだろうか。そうした疑問が読者の脳裏に宿り始める。そしていつの間にか、虚飾や欺瞞を吹き飛ばす力強い一瞬が到来することを待ちわびるようになっているのだ。もちろん期待は裏切られない。たまらないカタルシスを読者は味わうことになるはずである。
十九世紀の画家ポール・ゴーギャンはタヒチに魅せられたために故郷を去り、ついに戻ることなく生涯を終えた。終章にその名が記されている。
――ゴーギャンの絵を持ちだすまでもなく、この島では、人間を含む森羅万象の輪郭がくっきりと太く際立ち、すべての命が凶暴なまでの美しさと力強さに充ち満ちていた。
南の島の情景が心を騒がせる小説だ。本を閉じても網膜に焼きついた原色の景色が鮮やかに浮かんでくる。